曲の紹介「I Shot the Sheriff アイ・ショット・ザ・シェリフ」
インフォメーション
- 曲名:I Shot the Sheriff(アイ・ショット・ザ・シェリフ)
- アーティスト:Bob Marley and Wailers(ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ)
- 作詞・作曲:Bob Marley(ボブ・マーリー)
- リリース:
- 1973年10月19日(アルバム「バーニン」)
- サマリー:
- ボブ・マーリーが1973年にシングルリリースし、アルバム”Burnin'”に収録された。
- 1974年エリック・クラプトンのカバー・バージョンがアルバム「461 オーシャン・ブールヴァード」に収録し、全米1位を記録した。
- ローリング・ストーン誌の「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500(2004年版)」において443位にランクインした。
- 記事参照元:
I Shot the Sheriff-Wikipedia
Bob Marley-Wikipedia - 画像引用元:Bob Marley-Wikipedia
- 原詞引用元:Bob Marley & The Wailers–I Shot the Sheriff Lyrics-Genius
曲について
「ボブ・マーリー」は「当初、”I shot the police”(俺は警察官を撃った)にしたかったが、ジャマイカ政府が大騒ぎしたので”I shot the sheriff”(俺は保安官を撃った)にした」と語っています。
この曲の歌詞は、ボブ・マーリーのフィクションですが、ガールフレンドのEsther Andersonは、以下の歌詞は、彼女がピルを飲んで妊娠をコントロールしていたことに反対する内容で、”Doctor” を”Sheriff”に置き換えたと言っています。(引用:Bob Marley-Wikipedia)
“Every time I plant a seed” 「いつも俺が種を植えると」
“He said kill it before it grow” 「奴は育つ前にそいつを殺してやると言った」
“He said kill them before they grow“「奴は育つ前にそいつらを殺してやると言った」
歌詞の内容は、ある黒人の男性が意味もなく保安官から憎まれていて、彼が刑期を終えて出所して町を出ようとした時に事件が起きます。
保安官に撃たれそうになり、彼はとっさに保安官を撃ちましたが、なぜか助手(副保安官)が死んでしまいます。
死刑にすると息巻く追手から逃げている状況で、主人公は「俺は保安官は撃ったが、助手は撃っていない」と正当防衛を主張します。
(これ以上の記述がないので推測するしかありませんが、主人公が間違って助手を撃ったのか、保安官が、彼に罪を着せるために助手を殺したかのどちらかだと思います。)
下記の歌詞では、バケツの底を自分たち黒人にだぶらせて、「俺たち黒人にも我慢の限界があるぞ」と言っているように思えます。
“Every day the bucket goes to a well“「毎日バケツを井戸へ落としていると」
“One day the bottom will drop out“「いつか底が抜け落ちてしまう」
1976年に企画された慈善コンサートのリハーサル中に、武装した6人の男に襲撃され腕と胸を撃たれたが、二日後コンサートへ出演し、演奏の最後に撃たれた傷を見せました。
無理をしてコンサートへ出た理由を「この世界を悪くさせようとしてる奴らは、休みなんか取っちゃいない。それなのに僕が休むなんて事ができるかい?」と語ったといいます。
ほんとうに、いつも命がけで大きなものと戦っていたすごいアーティストなのだと改めて思いました
2024年5月にボブ・マーリーの音楽伝記映画「ボブ・マーリーONE LOVE」が公開されました。
あらためて、彼の残した功績はもとより、ジャマイカという社会が混乱する中で苦悩する姿や人間味に触れられるいい映画だと思います。
曲の動画
- 以下の動画をアップしています。
- I Shot The Sheriff (Africa Unite, 2005) – Bob Marley & The Wailers by Bob Marley(公式アーティストチャンネル)
- Bob Marley & The Wailers – I Shot The Sheriff (Live At The Rainbow Theatre, London / 1977) by Bob Marley(公式アーティストチャンネル)
- I Shot The Sheriff by Eric Clapton(公式アーティストチャンネル)
多くのアーティストがカバーしていますが、1974年にEric Claptonが461 Ocean Boulevardに収録したバージョンが有名です。
歌詞の和訳「I Shot the Sheriff アイ・ショット・ザ・シェリフ」
(原詞:太文字)
I Shot the Sheriff
I shot the sheriff
俺は保安官を撃った
But I didn’t shoot no deputy *1
だけど助手は撃っちゃいない
I shot the sheriff
俺は保安官を撃った
But I didn’t shoot no deputy
だけど助手は撃っちゃいない
All around in my home town
俺の故郷の町中
They’re tryin’ to track me down
奴らは俺を躍起に探し回ってる
They say they want to bring me in guilty
俺を有罪にしたいと言ってる
For the killing of a deputy
助手殺しの罪で
For the life of a deputy
助手の命に代えて
But I say
だが、言わせてくれ
2)
I shot the sheriff
俺は保安官を撃った
But I swear it was in self defense
だが正当防衛だったと誓う
I shot the sheriff
俺は保安官を撃った
And they say it is a capital offense *2
そして奴らは死罪だと言いやがる
The sheriff John Brown always hated me
保安官のジョン・ブラウンはいつも俺を憎んでた
For what, I don’t know
なぜなのか、さっぱりわからねえ
Every time I plant a seed
いつも俺が種を植えると
He said kill it before it grow
奴は育つ前にそいつを殺してやると言った
He said kill them before they grow
奴は育つ前にそいつらを殺してやると言った
And so
それで
3)
I shot the sheriff
俺は保安官を撃った
But I swear it was in self defense
だが正当防衛だったと誓う
I shot the sheriff
俺は保安官を撃った
But I swear it was in self defense
だが正当防衛だったと誓う
Freedom came my way one day
ある日、俺に自由が訪れた
And I started out of town, yeah *3
俺は町を出ようとした、ああ
All of a sudden I saw sheriff John Brown
すると突然、ジョン・ブラウン保安官が目に入った
Aiming to shoot me down
俺を撃とうとしてた
So I shot, I shot, I shot him down
だから俺は撃った、俺は撃った、俺は奴を撃ち倒した
And I say
そしてこう言ってやる
”If I am guilty I will pay”
「もし俺に罪があるなら償ってやる」と
4)
I shot the sheriff
俺は保安官を撃った
But I didn’t shoot no deputy
だけど助手は撃っちゃいない
I shot the sheriff
俺は保安官を撃った
But I didn’t shoot no deputy
だけど助手は撃っちゃいない
Reflexes had the better of me *4
とっさにやっちまった
And what is to be must be *5
そうするしかなかった
Every day the bucket goes to a well
毎日バケツを井戸へ落としていると
One day the bottom will drop out *6
いつか底が抜け落ちてしまう
One day the bottom will drop out
いつか底だって抜け落ちてしまう
I say
言っておく
I shot the sheriff
俺は保安官を撃った
Lord, I didn’t shot the deputy
神よ、助手は撃っちゃいない
I Shot the sheriff
俺は保安官を撃った
But I didn’t shoot no deputy
だけど助手は撃っちゃいない
キーワード
- *1 deputy : 「副保安官」ですが保安官と紛らわしいので「助手」としました。
- *2 a capital offense : 「死罪にあたいするような犯罪」「死罪」
- *3 started out of : 「~から飛び出す」「~から出発する」
- *4 Reflexes had the better of me : 「反射神経が自分より勝っていた」から「とっさにやっちまった」としました。
- *5 what is to be must be : “what is to be“「そうなるのは」”must be“「必然だ」から「そうするしかなかった」としました。
- *6 the bottom will drop out : bottomはバケツの底を表わしていますが、ここではスラング的にニガーと呼ばれ差別されていた黒人を表わしていると思います。
アーティストの紹介「Bob Marley ボブ・マーリー」
インフォメーション
- 名 前:Bob Marley(ボブ・マーリー)
- 本名:Robert Nesta Marley(ロバート・ネスタ・マーリー)
- 生 誕:1945年2月6日 – 1981年5月11日
- 出身地:ジャマイカ
- サマリー:
- ボブ・マーリーは、1945年にジャマイカで生まれたレゲエの神様として知られるミュージシャンです。
- 彼の音楽は、レゲエだけでなく、スカやロック、フォークなど多様なジャンルを取り入れたもので、愛、平和、社会的な不正に対する抗議などのメッセージを含んでおり、世界中の人々に影響を与えました。
アーティストの軌跡
「ボブ・マーリー」は、1963年にプロの音楽家としての活動を始めて、ピーター・トッシュとバニー・ウェイラーと共にTeenagersというグループを結成しました。
その後、「ザ・ウェイラーズ」という名前に変えて、1965年にアルバム「The Wailing Wailers」をリリースし、収録曲「One Love」は世界的なヒットとなり、レゲエ界の注目グループとして知名度を上げました。
グループ名も「ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ」と変え、1971年アルバム「The Best of The Wailers」をリリースし、世界的な注目を集め始め、1973年アルバム「Catch a Fire」「Burnin’」をリリースしました。
バンド解散後もバンド名の名前で、1974年アルバム「Natty Dread」をリリースし評価されました。
このアルバムに収録された「No Woman, No Cry」は、1975年のライブアルバム「Live!」からシングルカットされたライブ・バージョンが大ヒットとなりました。
1976年アルバム「ラスタマン・ヴァイブレーション」は、全米トップ10入りを果たし、ビルボード誌のR&Bアルバム・チャートで初めて11位を記録しました。
彼は、ラスタファリ運動の思想を持ち音楽活動を続け、社会的なメッセージを音楽を通じて発信し続け、世界的に多くの人々に影響を与えました。
当時のジャマイカは、国内が2大政党が対立しており、社会情勢が非常に不安定で危険な状態でした。
彼は、そんな混沌とするジャマイカに微笑みをとする趣旨の「スマイル・ジャマイカ・コンサート」というコンサートを企画しました。
しかし、このコンサートに反対する警告や脅迫が多くなされました。
そして1976年12月3日に、リハーサル中に6人の男に襲撃を受けました。
スタッフから重傷者も出て、ボブも胸と腕を撃たれましたが命に別状はありませんでした。
二日後のコンサートに出演しましたが、後に出演した理由を尋ねられたとき、「この世界を悪くさせようとしてる奴らは休みなんか取っちゃいない。それなのに僕が休むなんて事ができるかい?」と語りました。
その後、活動拠点をロンドンに移し、精力的に音楽活動を続けました。
1977年にアルバム「Exodus」は、イギリスで大ヒットとなり56週連続チャートインを記録しました。
1977年に足の親指に悪性のメラノーマ(悪性黒色腫)見つかり、親指の切断を医師から勧められましたが拒否し、処置に留めツアーを続けました。
1981年5月11日、がんの転移により妻と母に見守られながら、息を引き取りました。
彼の世界中のファンは悲しみを表し、彼はジャマイカで国葬を受けました。
彼の死後1984年に、アルバム『Legend』がリリースされ、史上最高のレゲエアルバムとなりました。
彼は、生涯において推定7500万枚以上のレコードの売上げ、史上最高の音楽アーティストの一人としてランクされています。
彼は、ジャマイカ音楽を世界に広め、レゲエを国際的なジャンルに押し上げました。
「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」に於いては、第19位にランクされています。
2024年5月にボブ・マーリーの音楽伝記映画「ボブ・マーリーONE LOVE」が公開され、再び彼の存在が注目されています。
彼の歌詞は政治的な内容を含み、平和と愛のメッセージを伝えており、永遠に多くの人々に愛され続けていくと思われます。
ディスコグラフィー
- スタジオ・アルバム
- 1965年 ザ・ウェイリング・ウェイラーズ The Wailing Wailers
- 1970年 ソウル・レベルス Soul Rebels
- 1971年 ソウル・レボリューション Soul Revolution
- 1971年 ソウル・レボリューション・パートII Soul Revolution Part II
- 1971年 ザ・ベスト・オブ・ザ・ウェイラーズ The Best of The Wailers
- 1973年 キャッチ・ア・ファイア Catch a Fire US171
- 1973年 バーニン Burnin’ US151
- 1974年 ラスタ・レボリューション Rasta Revolution
- 1974年 ナッティ・ドレッド Natty Dread US92
- 1976年 ラスタマン・ヴァイブレーション Rastaman Vibration US8
- 1977年 エクソダス Exodus US20
- 1978年 カヤ Kaya US50
- 1979年 サヴァイヴァル Survival US70
- 1980年 アップライジング Uprising US45
- 1983年 コンフロンテイション Confrontation US55
- ライブ・アルバム
- 1975年 ライヴ! Live! (Gold) US90
- 1978年 バビロン・バイ・バス Babylon by Bus US102
- 1991年 トーキン・ブルース Talkin’ Blues (recorded in 1973) US103
- 2003年 ライヴ・アット・ロクシー Live at the Roxy (recorded in 1976)
- コンピレーション・アルバム
- 1984年 レジェンド Legend (Diamond) US55
- 1986年 レベル・ミュージック Rebel Music
- 1992年 ソングス・オブ・フリーダム〜ボブ・マーリー栄光の軌跡 Songs of Freedom US86
- 1995年 ナチュラル・ミスティック Natural Mystic: The Legend Lives On (Gold) US67
- 1997年 21 Winners: The Best of Bob Marley and the Wailers
- 2001年 One Love: The Very Best of Bob Marley & The Wailers
- 2002年 Bob Marley and The Wailers: Trenchtown Rock (Anthology ’69 – ’78)
- 2005年 Gold
- 2005年 アフリカ・ユナイト〜シングル・コレクション Africa Unite: The Singles Collection
引用元:ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの作品-Wikipedia
1973年 Burnin’
1974年 Natty Dread
1975年 Live!
1984年 Legend ~The Best of Bob Marley & The Wailers
2024年 ONE LOVE-オリジナル・サウンドトラック
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