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Hey Jude (ヘイ・ジュード)/The Beatles(ビートルズ)和訳

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目次

曲の紹介

【曲名】Hey Jude (ヘイ・ジュード)
【アーティスト】The Beatles(ビートルズ)
【作詞・作曲】Paul McCartney(ポール・マッカートニー)
【概要】1968年にビートルズが設立したアップル・レコードの第一弾シングル(B面はレボルーション)として発売され、その後、1970年アルバム「ヘイ・ジュード」に収録された。

ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500(2004年版)では8位にランキングされている。
他の収録アルバム「Beatles1

【記事参照元】ヘイ・ジュード -Wikipedia
【画像引用元】ヘイ・ジュード-Wikipedia
【原詞引用元】The Beatles–Hey Jude Lyrics-Genius

曲の解釈

この曲は、色々説はあるようですが、ジョン・レノンがオノ・ヨーコとの不倫交際が原因で、妻シンシアと不仲となり、そのため傷心した息子のジュリアン・レノン(当時5才)を励ますために、ポール・マッカートニーが作ったと言われています。

確かに、傷心して元気のないジュリアンにやさしく、励ましているやさしい光景が歌詞からうかがえます。

またこの曲は、かつてのソ連を中心とした共産圏のチェコスロバキアでの自由民主化運動(プラハの春)がソ連の侵攻により弾圧され苦しむ民衆のために、1968年にチェコの歌手のマルタ・クビショバが、歌詞をチェコ語にアレンジして民衆を励ます曲として「マルタへの祈り」とともにレコーディングしています。

現在においても、世界では悲しい戦争・紛争が絶えず、人間の愛や生きる権利が平然と失われていく現実があります。

このマルタの動画を見ると、音楽はその現実に立ち向かっていく人々の心に訴えかけて、励ましてくれることを実感します。

The Beatles - Hey Jude

マルタ・クビショバ バージョン

【PV】 Marta Kubišová - HEY JUDE (DLOUHY PUST M.K.) - @tubasarecords2

歌詞の和訳

(原詞:太文字)

Hey Jude

Hey Jude, don’t make it bad
なあジュード、落ち込むなよ
Take a sad song and make it better
悲しい歌だって、気分よくしてくれる
Remember to let her into your heart
忘れないで、彼女を心の中に抱くのを
Then you can start to make it better
そうすれば、良くなっていけるさ

Hey Jude, don’t be afraid
なあジュード、心配するんじゃない
You were made to go out and get her
決まってる、君が出かけて、彼女に会うと
The minute you let her under your skin *1
すぐに、君は彼女をメロメロにするさ
Then you begin to make it better

そうすれば、良くなっていけるさ

And anytime you feel the pain, hey Jude, refrain
そしていつでも苦しくなって、なあジュード、我慢する時は
Don’t carry the world upon your shoulders
背負い込んではだめだよ、一人で、
For well you know that it’s a fool who plays it cool *2
君なら分かるよな、冷静でいるふりをするのは愚かだって
By making his world a little colder *3
自分を少し冷たい世界において
Nah nah nah nah nah nah nah nah nah *4
だめだ、だめだ、だめだ、、、

Hey Jude, don’t let me down
なあジュード、がっかりさせないでくれ
You have found her, now go and get her
彼女を見つけたんだから、今すぐ行ってつかまえるんだ
Remember to let her into your heart
忘れないで、彼女を心の中に抱くのを
Then you can start to make it better
そうすれば、良くなっていけるさ

So let it out and let it in, hey Jude, begin *5
そう、気持ちを入れ替えるんだ、なあジュード、始めるんだ
You’re waiting for someone to perform with
君は待ってる、解決してくれる誰かを
And don’t you know that it’s just you, hey Jude, you’ll do
だけど分からない?それは君だってことが、なあジュード、君がやるんだ
The movement you need is on your shoulder
君に必要な行動は、君自身にかかってるんだ
Nah nah nah nah nah nah nah nah nah yeah
だめだ、だめだ、だめだ、、、

Hey Jude, don’t make it bad
なあジュード、落ち込むなよ
Take a sad song and make it better
悲しい歌だって、気分よくしてくれる
Remember to let her under your skin
忘れないで、彼女を心の中に抱くのを
Then you’ll begin to make it
そうすれば、きっといきだすさ、
Better better better better better better, oh
うまく、うまく、うまく、、、ああ

キーワード

*1. under your skin:「いらいら(させる)」「好きに(なる)」の意味がありますが、文脈から「メロメロにする」としました。

*2 it’s a fool who plays it cool:”cool” と”colder”が韻を踏んでいるので、”cool”は冷静とし「冷静でいるふりをするのは愚か」としました。

*3 By making his world a little colder:直訳では「彼(愚か者)の世界を少し冷たくして」ですが、文脈から「自分を少し冷たい世界において」としました。

*4. nah:noと同意語として「だめだ」としました。

*5. let it out and let it in:”let it out” 「(はき)出す」、”let it in”「入れる」なので、文脈から「気持ちを入れ替える」としました。

アーティストの紹介

【名 前】The Beatles(ビートルズ)
【生 誕】1960年
【出身地】イギリス、リバプール
【概 要】ビートルズは1960年から1970年にかけて活動した、20世紀を代表するグループ。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」では第1位に選ばれており、史上最も影響力のあるバンドとして知られる。

1957年にジョン・レノンが前身のバンド「クオリーメン」を結成し、メンバー交代の後、1960年に「ビートルズ / ザ・ビートルズ」に改名した。

(メンバーはジョン・レノン(Vo.Gt.)、ポール・マッカートニー(Vo.Bass)、ジョージ・ハリスン(Vo.Gt.)、リンゴ・スター(Vo.Drum))

1962年プロデューサーのジョージ・マーティンを迎え、EMIレコードと契約を結ぶ。

1962年10月初シングル「ラヴ・ミー・ドゥ」をイギリスでリリースした。

1963年1月2枚目シングル「プリーズ・プリーズ・ミー」をリリースし、ヒットし、イギリスで人気グループとなった。

1963年4月3枚目のシングル「フロム・ミー・トゥ・ユー」ではミュージック・ウィーク誌で7週連続1位を記録した。

その後、1963年8月リリースの「シー・ラヴズ・ユー」、同年11月リリースの「抱きしめたい」など連続して1位を獲得した。

1963年4月初アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」をリリースし、チャート1位を連続30週間記録し、2枚目のアルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」はチャート連続21週間を記録し、この2枚のアルバムでチャート連続51週間(ほぼ1年間)を記録した。

1964年にアメリカに進出し、同年アメリカでリリースされた「抱きしめたい」がシングル・チャート1位になった。
その後、世界ツアーや1964年公開映画「ハード・デイズ・ナイト」と同名のサウンドトラックアルバムの大ヒットによりビートルマニア(特に1960年代に存在したビートルズの熱狂的なファンを指した言葉)ができた。

1966年6月30日~7月2日日本武道館により唯一の日本公演が行われており、当時は社会的現象として話題となった。

1966年8月29日1966年8月29日のサンフランシスコ・キャンドルスティック・パークでのコンサートを最後にコンサート活動の終了を宣言した。

以降、スタジオレコーディングに専念するようになる。

1967年6月イギリスでアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』をリリース、このアルバムは既存のポピュラー音楽の枠を超えて多大な文化的影響を与えたと言われている。

1968年ポールがジョンの息子のために書いたとされるシングル「ヘイ・ジュード」し、初の2枚組アルバム「ザ・ビートルズ(通称ホワイト・アルバム)」はアメリカで2400万枚を売り上げ、RIAA(アメリカレコード協会)売り上げの歴代4位を記録されている。

1969年レコーディングとドキュメンタリー映画のための「ゲット・バック・セッション」が始まるが、ポールとジョンの衝突により一時頓挫するが、アップル・スタジオ(ロンドンのアップル・コア社の地下スタジオ)で継続した。

その時、アップル・コア社屋上にて非公開でライブ・パーフォーマンスが行われた。これは「ルーフトップ・コンサート」と呼ばれ、その一部は1970年のドキュメンタリー映画「レット・イット・ビー」で公開された。

同じく、2021年11月公開のドキュメンタリー映画「ザ・ビートルズ:Get Back」では全演奏が公開された。

当初「ゲット・バック」でのアルバム制作が進んでいたが、紆余曲折がありアルバム「レット・イット・ビー」に変更となった。

1970年5月8日イギリス、5月18日アメリカでアルバム『レット・イット・ビー』がリリースされ、5月20日には映画『レット・イット・ビー』が劇場公開された。

ビートルズが事実上解散(ポールの脱退意向のイギリス大衆紙の報道)した約1か月後にリリースされたことになる。

このアルバムは、全英アルバムチャート1位、全世界では1000万枚以上のセールスを記録した。

1980年ジョン・レノンが銃による殺害

2001年ジョージ・ハリスン病死

ポールとリンゴは2023年9月現在、音楽活動を続けている

彼らの残した音楽は、新しい世代にも引き継がれ愛され続けていく、永遠の存在となっている。

代表アルバム

1963年 プリーズ・プリーズ・ミー / Please Please Me

ウィズ・ザ・ビートルズ / With The Beatles

1964年 ハード・デイズ・ナイト / A Hard Day’s Night

1967年 サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド / Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band

1968年 ザ・ビートルズ / The Beatles

1969年 イエロー・サブマリン / Yellow Submarine

1969年 アビイ・ロード / Abbey Road

1970年 レット・イット・ビー / Let It Be

1996年 ザ・ビートルズ・アンソロジー3/The Beatles Anthology 3

2006年 LOVE

2023年 ナウ・アンド・ゼン/Now And Then

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