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Summertime(サマータイム) – Janis Joplin(ジャニス・ジョプリン)和訳

ジャニス・ジョプリンの写真
目次

曲の紹介

【曲名】Summertime(サマータイム)
【アーティスト】Janis Joplin(ジャニス・ジョプリン)
【作曲】George Gershwin(ジョージ・ガーシュウィン)
【作詞】DuBose Heyward(デュボーズ・ヘイワード)
【概要】

ジョージ・ガーシュウィンが1935年のオペラ「porgy and Bess(ポーギーとべス)のために作曲し、同年にリリースされた。

1936年にビリー・ホリディのカバーがヒットして以来、ジャズのスタンダード・ナンバーとなった。
その後、多くのジャンルのアーティストがカバーしている。
ジャニス・ジョプリンのバージョンは少し歌詞を変えて、1968年リリースの「チープ・スリルズ」に収録された。

【記事参照元】 サマータイム -Wikipedia)
【記事参照元 】ジャニス・ジョプリン -Wikipedia)
【歌詞引用元】Summertime-Genius
【画像引用元】Janis Joplin-Wikipedia

曲の解釈

この曲は、「ポーギーとべス」という、1920年初頭の南部の貧しい黒人の生活を描いたオペラの挿入歌で、悲惨な生活の中でも将来のわが子の幸せを祈る子守歌です。
ビリー・ホリディのオリジナルカバーはとても切なくこの情景を表現しています。

ジャニス・ジョプリンのカバーは、ロック・ブルース調にアレンジされ、歌詞も少し変えられています。
そして、彼女が魂を絞り出すように歌うサマータイムはとても迫力があり、まるで彼女の哀しみを吐き出しているように思えます。

彼女は、1970年のTV番組で「自分は今までクラス、学校、町、そして国中の笑いものだった。(ジャニス・ジョプリン-Wikipediaより)」と語っていたとのことで、幼少時代より周りとうまくやっていけず疎外感を持ち続けていたようです。

おそらく少女時代に孤独だった哀しみを込めて、歌っているように私には思えます。
まるで、一人ぼっちで孤独だった自分に向けて慰めるように歌っているかのようです。
それを表現するために少し歌詞を変えたのではと思います。

そう思って聴くと、ジャニスのなんとも切ない心の叫びが聞えてくる名曲だと思います。

動画はジャニス・ジョプリンとビリー・ホリデイのバージョンです。

Big Brother & The Holding Company, Janis Joplin - Summertime (Official Audio)
Janis Joplin "Summertime" (Live -1969)
Billie Holiday & Her Orchestra - Summertime (Official Audio)

歌詞の和訳

(原詞:太文字)

Summertime (Janis Joplin Version)

Summertime, time, time
夏の時季、時季、時季には
Child, the living’s easy *1
ぼうや、暮らしは楽になるの
Fish are jumping out
魚は飛び跳ね
And the cotton, Lord
綿花は、ああ
Cotton’s high, Lord so high
綿花は高く育つの、とても高く

Your daddy’s rich
あなたのパパはお金持ちで
And your ma is so good-looking, baby
ママはとても美しいのよ、ベビー
She’s a-looking good now
彼女は今も美しい
Hush, baby, baby, baby, baby, baby
静かにしてね、ベビー、ベビー、ベビー、ベビー、ベビー、
No, no, no, no, don’t you cry, don’t you cry
だめ、だめ、だめ、だめ、泣いてはだめ、泣いてはだめよ

2)
One of these mornings
そう遠くない、ある朝に
You’re gonna rise, rise up singing
あなたは立ち上がり歌い出すのよ
You’re gonna spread your wings, child
自分の羽根を広げるの、幼子よ
And take, take to the sky *2
そして大空へはばたくの
Lord, the sky
ああ、大空へ

Until that morning
その朝がくるまで
Honey, nothing’s going to harm you now
愛しい子、傷つけるものはない、あなたを今
No, no, no no, no no, no, no, no, no, no
だめ、だめ、だめ、、、、、、、、
No, no, no no, no no, no, no, no, no, no
だめ、だめ、だめ、、、、、、、、、
No, no, no, no, no, no, no, no, don’t you cry
だめ、だめ、だめ、、、、、、泣いてはだめよ


(原詞:太文字)

Summertime (Original)

Summertime
夏の時季には
And the livin’ is easy
楽しく暮らせるのよ
Fish are jumpin’
魚たちは飛び跳ねて
And the cotton is high
そして綿花は高く育つの
Oh, your daddy’s rich
そう、あなたのお父さんはお金持ちで
And your ma is good-lookin’
あなたのお母さんは美しいのよ
So hush, little baby
だから静かにしてね、ベビー
Don’t you cry
泣かないで

2)
One of these mornings
そう遠くない、ある朝に
You’re going to rise up singing
あなたは立ち上がり歌い出すのよ
Then you’ll spread your wings
それから羽根を広げ
And you’ll take the sky
そして空に舞い上がるの
But ’til that morning
だけどその朝が来るまで
There’s a’nothing can harm you
何も起こさせない、あなたを傷つけることは
With daddy and mammy standing by
パパとママがそばにいるから

キーワード

*1 Child, the living’s easy : 「child」は「ぼうや」という呼びかけとして訳しました。特に男の子という意味ではなく、幼児への呼びかけの意味で使いました。原詩ではこの「child」はなく、ジャニス・バージョンで付け加えられています。

*2 take to the sky : 「空へ行く」から「大空へはばたく」としました。オリジナルは”take the sky“で”to“が無いので「空に舞い上がる」としました。

アーティストの紹介

【名 前】Janis Joplin(ジャニス・ジョプリン)
【生誕】1943年1月19日(1970年10月4日没(没年27歳))
【出身地】アメリカ テキサス州ポートアーサー
【概要】

彼女は小さい頃から、ブルースを聴いて育ち、地元の聖歌隊にも所属していた。

大学時代に、心無い男子学生による非公式な「ブスコン」でトップに選ばれ、ショックを受けて大学を中退した。
1963年にサンフランシスコへ移り、フォーク・シンガーとして活動していたが、この頃に麻薬、アルコールの常習が始まったとされる。

しかし、彼女の本当の姿はイメージと大きくちがい、彼女の妹ローラの手記「Love,Janis」によると、彼女は知的でシャイで家族思いの繊細な性格だったとのこと。

1966年ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーというバンドに参加する。
1967年バンドのファースト・アルバム「ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー」をリリースしたが、バンドの演奏力の不足もあり、売れ行きは不振だった。

1967年6月にカルフォルニア・モントレー(モンタレー)で行われた「モントレー(モンタレー)・ポップ・フェスティバル」で、ジミ・ヘンドリックスやオーティス・レディングらのように、この野外コンサートで初めて知られるようになった。

このコンサートの模様は、1968年公開された「Monterey Pop」(邦題:モンタレー・ポップ フェスティバル’67)という映画で観ることができる。

1969年リリースしたアルバム「チープ・スリル」では、ブルースのスタンダードナンバーの「サマータイム」や「ポール・アンド・チェイン」など、生々しく迫力のある歌が収録されており、ますます評価されるようになった。

1969年に新しいバンド「コズミック・ブルース・バンド」でアルバム「コズミック・ブルースを歌う」をリリースし、1969年8月にニューヨーク州で行われた「ウッドストック・フェスティバル」に出演した。

その後、新しいバック・バンド「フル・ティルト・ブギー・バンド」を結成した。

1970年4月に2枚目のアルバム「パール」のレコーディングに姿を見せなかった彼女を、スタッフがホテルへ訪ねると、ベッドの横で倒れていたのを発見した。傍らには小銭と封の切られていないマールボローがあったとのこと。
27才という若さで亡くなり、死因は過度の薬物中毒によるものとされている。

1971年1月彼女の死後に、アルバム「パール」はリリースされた。

一部の曲は、未完成のまま収録されたが、アルバムとシングル「「ミー・アンド・ボビー・マギー」と共に、ビルボード誌全米1位を獲得した。

彼女が生前、最後に公の場(1970年6月、8月放映のTV番組)で、自分は高校の同窓会に出席する予定だと述べ、今までクラス、学校、町、そして国中の笑い者だったと語っている。

これは、ジャニスの孤独感を表す象徴的なエピソードとして語られている。

彼女は死後、1995年にロックの殿堂入りを果たした。
2004年の「史上最も偉大な100組のアーティスト」で46位、
2008年の「史上最も偉大な100組のシンガー」で28位にランクインした。

彼女はその短い生涯で多大な影響を残し、彼女の音楽は今日でも多くのアーティストに影響を与え続けている。

代表アルバム

スタジオ・アルバム

 1967年 ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー / Big Brother and the Holding Company

1968年 チープ・スリル / Cheap Thrills

created by Rinker
Columbia

1969年 コズミック・ブルースを歌う / I Got Dem Ol’ Kozmic Blues Again Mama!

1971年 パール / Pearl

created by Rinker
ソニーミュージックエンタテインメント

ライブ・アルバム

1972年 ジョプリン・イン・コンサート / In Concert

ベスト・アルバム

1973年 グレイテスト・ヒッツ / Janis Joplin’s Greatest Hits

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