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No Woman, No Cry ノー・ウーマン、ノー・クライ / Bob Marley and The Wailers ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ

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目次

曲の紹介「No Woman, No Cry ノー・ウーマン、ノー・クライ」

  • 曲名:No Woman, No Cry(ノー・ウーマン・ノー・クライ)
  • アーティスト:Bob Marley and The Wailers(ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ)
  • 作詞・作曲:Vincent Ford(ビンセント・フォード)
  • リリース:1975年8月29日(ライブ・アルバム「ライヴ!」よりシングルリリース)
  • サマリー
    • 1974年にアルバム”Natty Dread'”に収録され、1975年のライブアルバム”Live!“からシングルカットされたライブバージョンが有名となり、彼の代表曲の一つとなった。
    • 作詞・作曲はビンセント・フォードとクレジットされているが、ボブが作り著作権を友達の彼に譲ったのではと言われている。
    • ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500(2004年版)では37位にランキングされている。
  • 記事参照元:
    • No Woman, No Cry-Wikipedia
    • Bob Marley-Wikipedia
  • 画像引用元:Bob Marley-Wikipedia
  • 原詞引用元:Bob Marley & The Wailers–No Woman, No Cry Lyrics-Genius

曲について

タイトルの”No woman, No cry”は、「泣かない女性はいない」と意味がとれそうですが、ジャマイカの言葉では”No woman, nuh cry”と発音され、意味としては”Woman, don’t cry”となるそうです。

歌詞に出てくるトレンチタウン (Trenchtown)は、ジャマイカの首都キングストン(Kingston)にあるスラム街的なエリヤで、居住区の住人の生活は貧しく、治安も劣悪な環境のようです。

ここが、ボブ・マーリーやその他のレゲエミュージシャンたちの活動の拠点となりました。

歌詞は、そんな町の様子やボブが実際に生活の中で体験してきたことが想像でき、当時の社会情勢が不安なジャマイカのリアリティが迫ってきます。

ジャマイカという国は古くはスペイン、イギリスの植民地で、労働者として黒人が西アフリカから連れてこられ強制労働や人身売買などが横行した悲しい歴史を持っているようです。

そんな中で、ボブはレゲエという音楽を通じて社会をよくしたい、社会から押さえつけられている弱者である黒人、女性、子供たちを救いたかったのではと思います。

この曲は、そんな弱者でこの町で迫害されてきたであろう”Woman”に呼びかけて、「泣いてはだめだ、奴らに油断してはだめだ、俺たちの仲間はみんな消されてきたじゃないか、もっと強くなるんだ」と背中を押しているように思えます。

曲の動画

以下の動画をアップしています。

  1. Bob Marley & The Wailers – No Woman, No Cry (Live At The Rainbow 4th June 1977) by Bob Marley(公式アーティストチャンネル)
  2. Bob Marley – No Women No Cry (Original) by SongerTV
  3. Bob marley “no woman no cry” 1979 by moga1985

3.は1979年7月21日ボストンで行われたAmandla Festivalでのライブ映像ですが、このフェスティバルの目的が南アフリカの人権の自由をサポートするものです。ボブの心の叫びが聞こえてきて泣けます。

Bob Marley - No Women No Cry (Original)
Bob marley "no woman no cry" 1979
Live at Amandla Festival

歌詞の和訳「No Woman, No Cry ノー・ウーマン、ノー・クライ」

(原詞:太文字)

No Woman, No Cry

No woman, no cry
だめだ彼女、泣いちゃいけない
No woman, no cry
だめだ彼女、泣いちゃいけない
No woman, no cry
だめだ彼女、泣いちゃいけない
No woman, no cry
だめだ彼女、泣いちゃいけない

I remember when we used to sit
俺たちがよく座り込んでたころを覚えてる
In the government yard in Trenchtown *1
トレンチタウンの公共広場で
Oba, observing the hypocrites
監視をしてたんだ、偽善者たちを
As they would mingle with the good people we meet *2
俺たちが出会う善良な人たちに紛れ込もうとしてた
Good friends we have had, oh good friends we’ve lost
俺たちの良き友人たち、ああ、良き友人をみんな失ってしまった
Along the way *3
これまでに
In this bright future you can’t forget your past
君は過去を忘れられない、この明るい未来でも
So dry your tears I say
だから涙を拭いてくれ

No woman, no cry
だめだ彼女、泣いちゃいけない
No woman, no cry
だめだ彼女、泣いちゃいけない
Little darling don’t shed no tears
可愛いダーリン、涙を流さないで
No woman, no cry
だめだ彼女、泣いちゃいけない

2)
Said, I remember when we used to sit
俺たちがよく座り込んでたころを覚えてる
In the government yard in Trenchtown
トレンチタウンの公共広場で
And then Georgie would make the fire light
そしてジョージが火を灯した
Log wood burning through the night
一晩中、丸太を燃やしながら
Then we would cook corn meal porridge *4
それから俺たちはコーンミール・ポリッジを作った
Of which I’ll share with you *5
それを君と分け合うんだ

My feet is my only carriage
俺の足が唯一の馬車
So I’ve got to push on through
だから突き進むしかない
But while I’m gone *6
だけど、俺はまだ行ったきり

Everything’s going to be alright
何もかも、よくなるさ
(Repeat 8 Times)

So, woman, no cry,
だから彼女、泣いちゃいけない
No, no, woman, woman, no cry
だめだ、だめだ、彼女、彼女、泣いちゃいけない
Woman, little sister, don’t shed no tears,
彼女、妹よ、涙を流さないで
No, woman, no cry
だめだ、彼女、泣いちゃいけない

キーワード

  • *1 government yard : 「政府所有の庭、囲い地」を「公共の広場」としました。
  • *2 mingle with :「~と交際する」「~と交わる」「~に紛れ込む」
  • *3 Along the way : 「~の途中で」「ここまでに」から「これまでに」としました。
  • *4 corn meal porridge : 「コーンミール・ポリッジ」ジャマイカの料理で、コーンの粉で作った日本でいう、おかゆみたいなものだそうですが、おかゆとちがうのは、水ではなくミルクで炊くそうです。
  • *5 share with : 「~と分け合う、分かち合う」
  • *6 But while I’m gone : これ以上の記述がないので、具体的な意味が分かりませんが、”while”を「~の間」ではなく、「まだ、未だ」と解して、「まだ、俺はいないまま」の意味で「俺はまだ行ったきり」としました。これは主人公が、囚われてるか追われているかの理由と推察しました。
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アーティストの紹介「Bob Marley ボブ・マーリー」

インフォメーション

  • 名 前:Bob Marley(ボブ・マーリー)
  • 本名:Robert Nesta Marley(ロバート・ネスタ・マーリー)
  • 生 誕:1945年2月6日 – 1981年5月11日
  • 出身地:ジャマイカ
  • サマリー:
    • ボブ・マーリーは、1945年にジャマイカで生まれたレゲエの神様として知られるミュージシャンです。
    • 彼の音楽は、レゲエだけでなく、スカやロック、フォークなど多様なジャンルを取り入れたもので、愛、平和、社会的な不正に対する抗議などのメッセージを含んでおり、世界中の人々に影響を与えました。

アーティストの軌跡


「ボブ・マーリー」は、1963年にプロの音楽家としての活動を始めて、ピーター・トッシュとバニー・ウェイラーと共にTeenagersというグループを結成しました。

その後、「ザ・ウェイラーズ」という名前に変えて、1965年にアルバム「The Wailing Wailers」をリリースし、収録曲「One Love」は世界的なヒットとなり、レゲエ界の注目グループとして知名度を上げました。

グループ名も「ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ」と変え、1971年アルバム「The Best of The Wailers」をリリースし、世界的な注目を集め始め、1973年アルバム「Catch a Fire」「Burnin’」をリリースしました。

バンド解散後もバンド名の名前で、1974年アルバム「Natty Dread」をリリースし評価されました。
このアルバムに収録された「No Woman, No Cry」は、1975年のライブアルバム「Live!」からシングルカットされたライブ・バージョンが大ヒットとなりました。

1976年アルバム「ラスタマン・ヴァイブレーション」は、全米トップ10入りを果たし、ビルボード誌のR&Bアルバム・チャートで初めて11位を記録しました。

彼は、ラスタファリ運動の思想を持ち音楽活動を続け、社会的なメッセージを音楽を通じて発信し続け、世界的に多くの人々に影響を与えました。

当時のジャマイカは、国内が2大政党が対立しており、社会情勢が非常に不安定で危険な状態でした。
彼は、そんな混沌とするジャマイカに微笑みをとする趣旨の「スマイル・ジャマイカ・コンサート」というコンサートを企画しました。
しかし、このコンサートに反対する警告や脅迫が多くなされました。

そして1976年12月3日に、リハーサル中に6人の男に襲撃を受けました。
スタッフから重傷者も出て、ボブも胸と腕を撃たれましたが命に別状はありませんでした。

二日後のコンサートに出演しましたが、後に出演した理由を尋ねられたとき、「この世界を悪くさせようとしてる奴らは休みなんか取っちゃいない。それなのに僕が休むなんて事ができるかい?」と語りました。

その後、活動拠点をロンドンに移し、精力的に音楽活動を続けました。
1977年にアルバム「Exodus」は、イギリスで大ヒットとなり56週連続チャートインを記録しました。

1977年に足の親指に悪性のメラノーマ(悪性黒色腫)見つかり、親指の切断を医師から勧められましたが拒否し、処置に留めツアーを続けました。

1981年5月11日、がんの転移により妻と母に見守られながら、息を引き取りました。
彼の世界中のファンは悲しみを表し、彼はジャマイカで国葬を受けました。

彼の死後1984年に、アルバム『Legend』がリリースされ、史上最高のレゲエアルバムとなりました。
彼は、生涯において推定7500万枚以上のレコードの売上げ、史上最高の音楽アーティストの一人としてランクされています。

彼は、ジャマイカ音楽を世界に広め、レゲエを国際的なジャンルに押し上げました。
「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」に於いては、第19位にランクされています。

2024年5月にボブ・マーリーの音楽伝記映画「ボブ・マーリーONE LOVE」が公開され、再び彼の存在が注目されています。

彼の歌詞は政治的な内容を含み、平和と愛のメッセージを伝えており、永遠に多くの人々に愛され続けていくと思われます。

ディスコグラフィー

  • スタジオ・アルバム
    • 1965年 ザ・ウェイリング・ウェイラーズ The Wailing Wailers
    • 1970年 ソウル・レベルス Soul Rebels
    • 1971年 ソウル・レボリューション Soul Revolution
    • 1971年 ソウル・レボリューション・パートII Soul Revolution Part II
    • 1971年 ザ・ベスト・オブ・ザ・ウェイラーズ The Best of The Wailers
    • 1973年 キャッチ・ア・ファイア Catch a Fire US171
    • 1973年 バーニン Burnin’ US151
    • 1974年 ラスタ・レボリューション Rasta Revolution
    • 1974年 ナッティ・ドレッド Natty Dread US92
    • 1976年 ラスタマン・ヴァイブレーション Rastaman Vibration US8
    • 1977年 エクソダス Exodus US20
    • 1978年 カヤ Kaya US50
    • 1979年 サヴァイヴァル Survival US70
    • 1980年 アップライジング Uprising US45
    • 1983年 コンフロンテイション Confrontation US55
  • ライブ・アルバム
    • 1975年 ライヴ! Live! (Gold) US90
    • 1978年 バビロン・バイ・バス Babylon by Bus US102
    • 1991年 トーキン・ブルース Talkin’ Blues (recorded in 1973) US103
    • 2003年 ライヴ・アット・ロクシー Live at the Roxy (recorded in 1976)
  • コンピレーション・アルバム
    • 1984年 レジェンド Legend (Diamond) US55
    • 1986年 レベル・ミュージック Rebel Music
    • 1992年 ソングス・オブ・フリーダム〜ボブ・マーリー栄光の軌跡 Songs of Freedom US86
    • 1995年 ナチュラル・ミスティック Natural Mystic: The Legend Lives On (Gold) US67
    • 1997年 21 Winners: The Best of Bob Marley and the Wailers
    • 2001年 One Love: The Very Best of Bob Marley & The Wailers
    • 2002年 Bob Marley and The Wailers: Trenchtown Rock (Anthology ’69 – ’78)
    • 2005年 Gold
    • 2005年 アフリカ・ユナイト〜シングル・コレクション Africa Unite: The Singles Collection

      引用元:ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの作品-Wikipedia

1973年 Burnin’

1974年 Natty Dread

1975年 Live!

1984年 Legend ~The Best of Bob Marley & The Wailers

2024年 ONE LOVE-オリジナル・サウンドトラック

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