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While My Guitar Gently Weeps(ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス) – The Beatles(ビートルズ)和訳

ビートルズ写真
目次

曲の紹介

【曲名】While My Guitar Gently Weeps(ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス)
【アーティスト】The Beatles(ビートルズ)
【作詞・作曲】George Harrison(ジョージ・ハリスン
【概要】1968年11月、10作目のアルバム「ザ・ビートルズ」に収録され、イギリス・アメリカではシングルは発売されていないが、日本、欧州、オーストラリアでは「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」のB面でリリースされた。(日本での邦題:マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス)

ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500(2004年版)では135位にランキングされている。

【記事参照元】 While My Guitar Gently Weeps -Wikipedia
【歌詞引用元】 While My Guitar Gently Weeps-GENIUS
【画像引用元】The Beatles-Wikipedia

曲の解釈

この曲は、ビートルズのジョージ・ハリスン(Lead Gt.&Vo.)が、中国の易経にインスピレーションを得て作ったとされています。

当初はアコースティックギターとハーモニウムでの録音で、歌詞も異なる箇所がありましたが、その後バンドで録音されたバージョンは、歌詞も変更されロック調へ変わっています。(アコースティック・バージョンは、2006年発売のビートルズ・リミックスアルバム「LOVE」に収録されています。)

歌詞に「眠っている愛」とあるのは、世界が持つ普遍的な愛が、人類の過ちで実現できないことへの失望を表現しているようです。

また、この時期のビートルズはメンバー間の不和もあり、のちにリード・ギターでレコーディングに参加したエリック・クラプトンは、「この曲は、ハリスンがグループ内での精神的な孤立を伝えるもの」と言っています。

この曲が作られた1968年当時の世界情勢をみると、ベトナム戦争、キング牧師の暗殺など悲しい出来事で溢れており、そうしたことへの失望、哀しみを”While My Guitar Gently Weeps”(けれども、僕のギターはむせび泣いてる)と表現したのではと思います。

また、たしかにクラプトンが言うように、バンド内の亀裂を憂いて哀しむ意味も込めているように思います。

曲全体では、歌詞ではハリスンの静かな哀しみが歌われており、また間奏やエンディングでは、クラプトンのギターがまさしくタイトルのように泣いているように聴こえて素晴らしいです。

動画は、以下のものです。
■ビートルズ・レコードバージョン(2018MIX)
■エリック・クラプトンとジョージの奥さんのオリヴィア・ハリスンによるジョージ・ハリスン追悼コンサート(2002年)
■ザ・ビートルズ・アンソロジー3バージョン(The Beatles Anthology 3:1996年リリース)
■ジョージハリスンのアコースティックバージョン(ラスベガスのミラージュ・ホテルで行われたシルク・ドゥ・ソレイユによるザ・ビートルズ・ラブ・ショーの10周年を記念して作成されたMV)
■サンタナ・バージョン

While My Guitar Gently Weeps (2018 Mix)
While My Guitar Gently Weeps (Taken from Concert For George)
While My Guitar Gently Weeps (Anthology 3 Version)
The Beatles - While My Guitar Gently Weeps
Santana - While My Guitar Gently Weeps (Official Video)

歌詞の和訳

(原詞:太文字)

While My Guitar Gently Weeps

I look at you all, see the love there that’s sleeping *1
みんなを見てる、そこには愛が見えるんだ、眠っている
While my guitar gently weeps
けれども、僕のギターはむせび泣いてる
I look at the floor and I see it needs sweeping
床に目をやると、拭うほどの涙が
Still my guitar gently weeps
それでも、僕のギターはむせび泣いてる

I don’t know why nobody told you
わからない、なぜ誰も伝えなかったのか
How to unfold your love *2
どうやって解き放すのか、みんなの愛を
I don’t know how someone controlled you
わからない、どうやってみんなを操り
They bought and sold you *3
金儲けしたのか

2)
I look at the world and I notice it’s turning
世界を見て気づいてる、激変していることを
While my guitar gently weeps
けれども、僕のギターはむせび泣いてる
With every mistake, we must surely be learning
過ちを犯しながらも、僕たちは学び続けてるにちがいない
Still my guitar gently weeps
それでも、僕のギターはむせび泣いてる

間奏)

I don’t know how you were diverted *4
わからない、どうやってみんな惑わされたのか
You were perverted, too *5
陥れられたのかをも
I don’t know how you were inverted *6
わからない、どうやってみんなひっくり返されたのか
No one alerted you
だれも警告しなかった

3)
I look at you all, see the love there that’s sleeping
みんなを見てる、そこには愛が見えるんだ、眠っている
While my guitar gently weeps
けれども、僕のギターはむせび泣いてる
Look at you all
みんなを見てる
Still my guitar gently weeps
それでも、僕のギターはむせび泣いてる

Oh, oh, oh, oh, oh, oh…
ああ、ああ、ああ、、、

キーワード

*1. you all: 「あなたたち」という複数人を意味するので、「世界中の人々」、「ビートルズメンバーたち」を指す意味で「みんな」としました。

*2. unfold: 「広げる」「展開する」ですが、文脈から「解き放つ」としました。

*3 bought and sold you: 「(みんなを)売買する」ですが、文脈から「金儲けした」としました。

*4 diverted: “divert”「~をそらす」「(方向)転換する)」を、文脈から「惑わす」としました。

*5 perverted: “pervert”「悪用する」「堕落させる」の意味で、「陥(おとしい)れられた」としました。

*6 inverted: “invert”「逆にする」「反対にする」

アーティストの紹介

【名 前】The Beatles(ビートルズ)
【生 誕】1960年
【出身地】イギリス、リバプール
【概 要】ビートルズは1960年から1970年にかけて活動した、20世紀を代表するグループ。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」では第1位に選ばれており、史上最も影響力のあるバンドとして知られる。

1957年にジョン・レノンが前身のバンド「クオリーメン」を結成し、メンバー交代の後、1960年に「ビートルズ / ザ・ビートルズ」に改名した。

(メンバーはジョン・レノン(Vo.Gt.)、ポール・マッカートニー(Vo.Bass)、ジョージ・ハリスン(Vo.Gt.)、リンゴ・スター(Vo.Drum))

1962年プロデューサーのジョージ・マーティンを迎え、EMIレコードと契約を結ぶ。

1962年10月初シングル「ラヴ・ミー・ドゥ」をイギリスでリリースした。

1963年1月2枚目シングル「プリーズ・プリーズ・ミー」をリリースし、ヒットし、イギリスで人気グループとなった。

1963年4月3枚目のシングル「フロム・ミー・トゥ・ユー」ではミュージック・ウィーク誌で7週連続1位を記録した。

その後、1963年8月リリースの「シー・ラヴズ・ユー」、同年11月リリースの「抱きしめたい」など連続して1位を獲得した。

1963年4月初アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」をリリースし、チャート1位を連続30週間記録し、2枚目のアルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」はチャート連続21週間を記録し、この2枚のアルバムでチャート連続51週間(ほぼ1年間)を記録した。

1964年にアメリカに進出し、同年アメリカでリリースされた「抱きしめたい」がシングル・チャート1位になった。
その後、世界ツアーや1964年公開映画「ハード・デイズ・ナイト」と同名のサウンドトラックアルバムの大ヒットによりビートルマニア(特に1960年代に存在したビートルズの熱狂的なファンを指した言葉)ができた。

1966年6月30日~7月2日日本武道館により唯一の日本公演が行われており、当時は社会的現象として話題となった。

1966年8月29日1966年8月29日のサンフランシスコ・キャンドルスティック・パークでのコンサートを最後にコンサート活動の終了を宣言した。

以降、スタジオレコーディングに専念するようになる。

1967年6月イギリスでアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』をリリース、このアルバムは既存のポピュラー音楽の枠を超えて多大な文化的影響を与えたと言われている。

1968年ポールがジョンの息子のために書いたとされるシングル「ヘイ・ジュード」し、初の2枚組アルバム「ザ・ビートルズ(通称ホワイト・アルバム)」はアメリカで2400万枚を売り上げ、RIAA(アメリカレコード協会)売り上げの歴代4位を記録されている。

1969年レコーディングとドキュメンタリー映画のための「ゲット・バック・セッション」が始まるが、ポールとジョンの衝突により一時頓挫するが、アップル・スタジオ(ロンドンのアップル・コア社の地下スタジオ)で継続した。

その時、アップル・コア社屋上にて非公開でライブ・パーフォーマンスが行われた。これは「ルーフトップ・コンサート」と呼ばれ、その一部は1970年のドキュメンタリー映画「レット・イット・ビー」で公開された。

同じく、2021年11月公開のドキュメンタリー映画「ザ・ビートルズ:Get Back」では全演奏が公開された。

当初「ゲット・バック」でのアルバム制作が進んでいたが、紆余曲折がありアルバム「レット・イット・ビー」に変更となった。

1970年5月8日イギリス、5月18日アメリカでアルバム『レット・イット・ビー』がリリースされ、5月20日には映画『レット・イット・ビー』が劇場公開された。

ビートルズが事実上解散(ポールの脱退意向のイギリス大衆紙の報道)した約1か月後にリリースされたことになる。

このアルバムは、全英アルバムチャート1位、全世界では1000万枚以上のセールスを記録した。

1980年ジョン・レノンが銃による殺害

2001年ジョージ・ハリスン病死

ポールとリンゴは2023年9月現在、音楽活動を続けている

彼らの残した音楽は、新しい世代にも引き継がれ愛され続けていく、永遠の存在となっている。

代表アルバム

1963年 プリーズ・プリーズ・ミー / Please Please Me

1963年 ウィズ・ザ・ビートルズ / With The Beatles

1964年 ハード・デイズ・ナイト / A Hard Day’s Night

1967年 サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド / Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band

1968年 ザ・ビートルズ / The Beatles

1969年 イエロー・サブマリン / Yellow Submarine

1969年 アビイ・ロード / Abbey Road

1970年 レット・イット・ビー / Let It Be

1996年 ザ・ビートルズ・アンソロジー3/The Beatles Anthology 3

2006年 LOVE

2023年 ナウ・アンド・ゼン/Now And Then

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