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Move Over(ジャニスの祈り) – Janis Joplin(ジャニス・ジョプリン)和訳

ジャニス・ジョプリンの写真
目次

曲の紹介

【曲名】Move Over(ジャニスの祈り)
【アーティスト】Janis Joplin(ジャニス・ジョプリン)
【作詞・作曲】Janis Joplin(ジャニス・ジョプリン)
【概要】

1970年10月4日にジャニスが亡くなったあと、1971年1月に遺作としてリリースされたアルバム「パール」に収録された曲で、彼女の代表曲である。


【記事参照元】Janis Joplin-Wikipedia
【歌詞引用元】Move Over-Genius
【画像参照元】Janis Joplin-Wikipedia

曲の解釈

この曲は、彼女が作詞、作曲をしたオリジナルです。
その分、この曲の歌詞には彼女の魂のさけび、哀しさがにじみ出ているように思えます。

歌詞の内容は、ほんとうに自分に向き合ってくれない、ただの遊びにしか思えない男に対して、不満をぶつけて、「私を愛するのならとことん愛して、中途半端な遊びなら消え失せて!」と言っています。

まさに、彼女の実生活にあったことを曲にしているのでは?と思えるような、生々しい内容です。

少女時代から孤独だったと言われていて、おそらく大人になっても周りとうまくコミュニケーションがとれず、同じ孤独を味わっていたのだと私は思います。

この曲には、そんな彼女の哀しみを込めて歌っている、彼女の魂の叫びが聴こえてくるように思えます。

Move Over (Mono Single)
MOVE OVER by Janis Joplin

歌詞の和訳

(原詞:太文字)

Move Over

You say that it’s over baby, Lord
あなたは言ってるよね、終わりだって、ああ
You say that it’s over now
あなたは言ってるよね、もう終わりだって
But still you hang around me, come on
だけどまだ私につきまとってる、冗談じゃない
Won’t you move over *1
どいてくれない?

You know that I need a man, honey Lord
知ってるよね、私には男が必要だって、ああハニー
You know that I need a man
知ってるよね、私には男が必要だって
But when I ask you to you just tell me
だけどあなたに求めたら、こう言うだけ
That maybe you can
たぶん、君ならできるよと

Please don’t you do it to me babe, no!
お願い、私にしないで、あなた絶対に
Please don’t you do it to me baby
お願い、私にしないで、あなた
Either take this love I offer *2
どちらかにして、私の愛をとるか
Or honey let me be
私にかまわないか

I’m not quite ready for walking, no no no no
私はまだ歩いて行ける準備ができていない、全然、、、
I’m not quite ready for walking
私はまだ歩いて行ける準備ができていない
And what are you going to do with your life *3
貴方は、人生をどうしたいの?
Life all just dangling? *4
人生、ずっとぶらついてるの?

Oh yeah, make up your mind, honey
さあ、覚悟をきめてよ、ハニー
You’re playing with me, hey hey hey
あなたは、私をもてあそんでる、ねえ、ねえ、ねえ
Make up your mind, darling
覚悟を決めてよ、ダーリン
You’re playing with me, come on now!
あなたは私をもてあそんでる、さあどうなの!
Now either be my loving man
さあどちらかにして、私の男になるか
I said let me honey, let me be, yeah!
言ったよねハニー、ほっといてって

You say that it’s over baby, Lord
あなたは言ってるよね、終わりだって、ああ
You say that it’s over now
あなたは言ってるよね、もう終わりだって
But still you hang around me, come on
だけどまだ私につきまとってる、冗談じゃない
Won’t you move over
どいてくれない?

You know that I need a man, honey Lord
知ってるよね、私には男が必要だって、ああハニー
You know that I need a man
知ってるよね、私には男が必要だって
But when I ask you to you just tell me
だけどあなたに求めたら、こう言うだけ
That maybe you can
たぶん、できるよと

Please don’t you do it to me babe, no!
お願いやめて、私にあなた、絶対に
Please don’t you do it to me baby
お願いやめて、私にあなた
Either take this love I offer
どちらかにして、私の愛をとるか
Or honey let me be
私をほっとくか

I said won’t you, won’t you let me be?
言ったよね、私をほっといてくれないかって
Honey, you’re teasing me
ハニー、あなたは私をからかってる
Yeah, you’re playing with my heart, dear
そう、あなたは私の心をもてあそんでる
I believe you’re toying with my affections, honey
きっと、あなたは私の愛情をおもちゃにしてる、ハニー

I can’t take it no more baby
もう我慢できない、ベイビー
And furthermore, I don’t intend to
もうこれ以上、するつもりはないわ
I’m just tired of hanging from the end of a string, honey *5
もう疲れたの、ひもの端に吊りさげられることに
You expect me to fight like a goddamned mule *6
あなたは期待してる、私が馬鹿なロバみたいに奮闘することを
Wah, wah, wah, wah, honey
ワァー、ワァー、ワァー、ワァー、ハニー

キーワード

*1 move over : 「移動する」「脇へどく」ですが、文脈から「どいてくれない?」としました。

*2 Either take this love I offer Or honey let me be: “eithe or”「どちらか一つに」

*3 do with one’s life: 「人生を費やす」「人生の目標をもつ」の意味で「人生をどうする(どうしたい)」としました。

*4 dangling: 「ぶら下がる」「ぶらつく」

*5 hanging from the end of a string: 紐の操り人形をイメージして「ひもの端に吊りさげられることに」としました。

*6 goddamned: 「~どもめ」「~ども」「くそ」(*くだけた強意語として使われる)

アーティストの紹介

【名 前】Janis Joplin(ジャニス・ジョプリン)
【生誕】1943年1月19日
【出身地】アメリカ テキサス州ポートアーサー
【概要】彼女は小さい頃から、ブルースを聴いて育ち、地元の聖歌隊にも所属していた。

大学時代に、心無い男子学生による非公式な「ブスコン」でトップに選ばれ、ショックを受けて大学を中退した。
1963年にサンフランシスコへ移り、フォーク・シンガーとして活動していたが、この頃に麻薬、アルコールの常習が始まったとされる。

しかし、彼女の本当の姿はイメージと大きくちがい、彼女の妹ローラの手記「Love,Janis」によると、彼女は知的でシャイで家族思いの繊細な性格だったとのこと。

1966年ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーというバンドに参加する。
1967年バンドのファースト・アルバム「ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー」をリリースしたが、バンドの演奏力の不足もあり、売れ行きは不振だった。

1967年6月にカルフォルニア・モントレー(モンタレー)で行われた「モントレー(モンタレー)・ポップ・フェスティバル」で、ジミ・ヘンドリックスやオーティス・レディングらのように、この野外コンサートで初めて知られるようになった。

このコンサートの模様は、1968年公開された「Monterey Pop」(邦題:モンタレー・ポップ フェスティバル’67)という映画で観ることができる。

1969年リリースしたアルバム「チープ・スリル」では、ブルースのスタンダードナンバーの「サマータイム」や「ポール・アンド・チェイン」など、生々しく迫力のある歌が収録されており、ますます評価されるようになった。

1969年に新しいバンド「コズミック・ブルース・バンド」でアルバム「コズミック・ブルースを歌う」をリリースし、1969年8月にニューヨーク州で行われた「ウッドストック・フェスティバル」に出演した。

その後、新しいバック・バンド「フル・ティルト・ブギー・バンド」を結成した。

1970年4月に2枚目のアルバム「パール」のレコーディングに姿を見せなかった彼女を、スタッフがホテルへ訪ねると、ベッドの横で倒れていたのを発見した。傍らには小銭と封の切られていないマールボローがあったとのこと。
27才という若さで亡くなり、死因は過度の薬物中毒によるものとされている。

1971年1月彼女の死後に、アルバム「パール」はリリースされた。

一部の曲は、未完成のまま収録されたが、アルバムとシングル「「ミー・アンド・ボビー・マギー」と共に、ビルボード誌全米1位を獲得した。

彼女が生前、最後に公の場(1970年6月、8月放映のTV番組)で、自分は高校の同窓会に出席する予定だと述べ、今までクラス、学校、町、そして国中の笑い者だったと語っている。

これは、ジャニスの孤独感を表す象徴的なエピソードとして語られている。

彼女は死後、1995年にロックの殿堂入りを果たした。
2004年の「史上最も偉大な100組のアーティスト」で46位、
2008年の「史上最も偉大な100組のシンガー」で28位にランクインした。

彼女はその短い生涯で多大な影響を残し、彼女の音楽は今日でも多くのアーティストに影響を与え続けている。

代表アルバム

スタジオ・アルバム

 1967年 ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー / Big Brother and the Holding Company

1968年 チープ・スリル / Cheap Thrills

created by Rinker
Columbia

1969年 コズミック・ブルースを歌う / I Got Dem Ol’ Kozmic Blues Again Mama!

1971年 パール / Pearl

created by Rinker
ソニーミュージックエンタテインメント

ライブ・アルバム

1972年 ジョプリン・イン・コンサート / In Concert

ベスト・アルバム

1973年 グレイテスト・ヒッツ / Janis Joplin’s Greatest Hits

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