曲の紹介|Jolene ジョリーン

インフォメーション
- 曲名:Jolene ジョリーン
- アーティスト:Dolly Parton ドリー・パートン
- 作詞・作曲:
- Dolly Parton ドリー・パートン
- リリース:
- 1973年10月15日 シングル「Jolene / Love, You’re So Beautiful Tonight」リリース
- 1973年5月22日 ナッシュビルのRCAスタジオBで録音
- 1974年2月 ビルボード・カントリーチャート1位獲得
- サマリー:
- ドリー・パートンの代表曲の1つ。赤毛の銀行員が夫カール・ディーンに言い寄った実体験と、サイン会に来た少女の名前からインスピレーションを得て書かれた楽曲。
語り手が美しい女性ジョリーンに「私の夫を奪わないで」と懇願する内容。 - アメリカで最高60位、イギリスでは7位を記録。ローリング・ストーン誌の「史上最高のカントリーソング200」で1位に選ばれた。
- ホワイト・ストライプス、ペンタトニックス、ビヨンセなど多くのアーティストにカバーされ続けている不朽の名曲。
- ドリー・パートンの代表曲の1つ。赤毛の銀行員が夫カール・ディーンに言い寄った実体験と、サイン会に来た少女の名前からインスピレーションを得て書かれた楽曲。
- 記事参照元:
- Jolene – Wikipedia
- Dolly Parton – Wikipedia
- 歌詞参照元:Dolly Parton – Jolene – Genius
曲について
「Jolene(ジョリーン)」は、ドリー・パートンが1973年に作詞・作曲し、自ら歌唱した楽曲で、カントリーミュージック史上最も愛される名曲の1つです。
この曲が生まれたきっかけは、ドリー自身の実体験でした。新婚時代、夫のカール・ディーンが利用する銀行に赤毛の美しい女性行員がおり、彼女はカールに露骨に言い寄っていました。
ドリーはその状況に不安と嫉妬を感じ、その感情を曲に昇華させました。
「ジョリーン」という名前は、別の出来事から生まれました。ある日、サイン会に訪れた赤毛の少女がドリーにサインを求め、その子の名前が「ジョリーン」だったのです。
ドリーはその音の響きに魅了され、曲のタイトルに使うことを決めました。
歌詞の内容は、語り手がジョリーンという名の美しい女性に向かって「どうかお願いだから、私の男性を奪わないで」と懇願するものです。
「炎のような赤褐色の髪、象牙色の肌、エメラルドグリーンの瞳」といった詩的な描写で、ジョリーンの美しさが強調されています。
興味深いのは、曲中でジョリーンが実際に男性を奪おうとしているのか、それとも語り手の一方的な不安なのかが曖昧な点です。
この曖昧さが聴き手の想像力を掻き立て、多くのアーティストによる「アンサーソング(返答歌)」を生み出しました。
ドリー自身は1988年のステージで、この曲が実話であり、そのため頻繁には歌いたくないと語っています。
彼女にとって、この曲は単なるヒット曲ではなく、自身の感情と結びついた特別な作品なのです。
ギターパートは、チップ・ヤングとウェイン・モスが担当しました。ヤングが演奏した印象的なサムピッキング(親指で弾く奏法)のイントロは、ジョー・サウスの演奏スタイルから着想を得たものです。
このシンプルながら心に残るギターリフが、曲全体に切ない雰囲気を与えています。
1973年10月にシングルとしてリリースされた「Jolene」は、1974年2月にビルボード・カントリーチャートで1位を獲得し、ドリー・パートンにとって2番目のソロナンバーワンヒットとなりました。
ポップチャートでは60位と控えめな成績でしたが、イギリスでは1976年に7位まで上昇し、彼女の初めてのUKトップ10ヒットとなりました。
この曲は音楽評論家からカントリージャンルを最も代表する楽曲の1つと評価されています。
ローリング・ストーン誌の「史上最高の楽曲500」では2004年版で217位、2021年の改訂版では63位にランクインしました。
そして2024年の「史上最高のカントリーソング200」では、栄えある1位に選ばれました。
ドリーによれば、「Jolene」は彼女の楽曲の中で最も多くカバーされた曲です。
ホワイト・ストライプスのロックバージョン、ペンタトニックスのアカペラバージョン(グラミー賞受賞)、マイリー・サイラス、オリヴィア・ニュートン=ジョン、そして2024年にはビヨンセが歌詞を大幅に変更してカバーし、トップ10入りを果たしました。
興味深いエピソードとして、ドリーは2018年の『ザ・ボビー・ボーンズ・ショー』で、「Jolene」と「I Will Always Love You(アイ・ウィル・オールウェイズ・ラヴ・ユー)」を同じ日に書いたと語りました。
1日に2つの不朽の名曲を生み出したこのエピソードは、彼女の天才的な作曲能力を物語っています。
「Jolene」は50年以上経った今でも色褪せることなく、世代や音楽ジャンルを超えて愛され続けています。
嫉妬、不安、愛という普遍的な感情を、シンプルながら美しいメロディーと詩的な歌詞で表現したこの曲は、まさにカントリーミュージックの宝石と言えます。
曲の動画
以下の動画をアップしています。
- Jolene – Dolly Parton(Official Audio)(ページトップ)
- Dolly Parton – Jolene (Live 1973)-ShoutFactoryVEVO
- Olivia Newton-John – Jolene (Olivia In Concert, 1982) – Olivia Newton-John
- Olivia Newton-John – Jolene ft. Dolly Parton Olivia Newton-John
歌詞の和訳|Jolene ジョリーン
(原詞:太文字)
Jolene
Jolene, Jolene, Jolene, Jolene
ジョリーン、ジョリーン、ジョリーン、ジョリーン
I’m begging of you, please don’t take my man
お願いだから、私の彼を奪わないで
Jolene, Jolene, Jolene, Jolene
ジョリーン、ジョリーン、ジョリーン、ジョリーン
Please don’t take him just because you can *1
あなたにできるからといって、彼を奪わないで
Your beauty is beyond compare
あなたの美しさは比べようがない
With flaming locks of auburn hair *2
炎のような赤褐色の髪
With ivory skin and eyes of emerald green
象牙色の肌にエメラルドグリーンの瞳
Your smile is like a breath of spring
あなたの微笑みは春の息吹のよう
Your voice is soft like summer rain
あなたの声は夏の雨のように優しく
And I cannot compete with you, Jolene
私はあなたと競うことなんてできない、ジョリーン
He talks about you in his sleep
彼は寝言であなたのことを話す
And there’s nothing I can do to keep *3
私はとめられない
From cryin’ when he calls your name, Jolene
彼があなたの名を呼ぶとき、泣くのを、ジョリーン
And I can easily understand
私にはよくわかる
How you could easily take my man
あなたなら簡単に私の彼を奪えること
But you don’t know what he means to me, Jolene *4
でもあなたは知らない、彼が私にとってどれほど大切か、ジョリーン
Jolene, Jolene, Jolene, Jolene
ジョリーン、ジョリーン、ジョリーン、ジョリーン
I’m begging of you, please don’t take my man
お願いだから私の彼を奪わないで
Jolene, Jolene, Jolene, Jolene
ジョリーン、ジョリーン、ジョリーン、ジョリーン
Please don’t take him just because you can
あなたにできるからといって、彼を奪わないで
You could have your choice of men
あなたはどんな男でも選べるでしょう
But I could never love again
でも私は二度と愛することはできない
He’s the only one for me, Jolene
彼は私にとって唯一の人、ジョリーン
I had to have this talk with you
私はあなたとこの話をしなければならなかった
My happiness depends on you
私の幸せはあなた次第
And whatever you decide to do, Jolene *5
あなたが何を決断しようとも、ジョリーン
Jolene, Jolene, Jolene, Jolene
ジョリーン、ジョリーン、ジョリーン、ジョリーン
I’m begging of you, please don’t take my man
お願いだから私の彼を奪わないで
Jolene, Jolene, Jolene, Jolene
ジョリーン、ジョリーン、ジョリーン、ジョリーン
Please don’t take him just because you can
あなたにできるからといって、彼を奪わないで
Jolene, Jolene
ジョリーン、ジョリーン
キーワード
- *1. just because you can:「あなたにはそれができるから」というニュアンス。能力があるからといって実行しないでという懇願。
- *2. flaming locks of auburn hair:「locks」は髪の房。「auburn」は赤褐色。炎のように輝く赤毛の描写。
- *3. keep from crying: 「〜(泣く)のを防ぐ、〜(泣かない)ようにする」
- *4. what he means to me: 直訳では「彼が私にとって意味するもの」を文脈から「彼が私にとってどれほど大切か」としました。
- *5. whatever you decide to do:直訳は「あなたが何をすると決めようとも」。語り手の運命がジョリーンの決断に委ねられている切実さを表現しています。
アーティストの紹介|Dolly Parton ドリー・パートン
インフォメーション
- 名前:Dolly Parton(ドリー・パートン)
- 主なバンドメンバー:
- 初期(1967-1974年)- ポーター・ワゴナー・バンド
- Porter Wagoner ポーター・ワゴナー 司会・共演者
- The Jordanaires ザ・ジョーダネアーズ バックコーラス(1956-1970年)
- ソロキャリア(1974年以降)
- 様々なセッションミュージシャンと共演
- Chip Young チップ・ヤング ギター(「Jolene」録音)
- Wayne Moss ウェイン・モス ギター(「Jolene」録音)
- 初期(1967-1974年)- ポーター・ワゴナー・バンド
- 誕生:1946年1月19日
- 出身地:アメリカ合衆国 テネシー州ピットマンセンター
- サマリー:
- ドリー・パートン(Dolly Parton)は、1946年にアメリカで生まれ、1956年から芸能活動を開始した歌手・作曲家・女優・実業家・慈善家で、「カントリーの女王(Queen of Country)」として知られる。
- カントリー、ブルーグラス、ゴスペル、ポップを融合させた音楽スタイルで、世界中で1億枚以上のレコードを売り上げ、史上最も成功した女性カントリーアーティストの1人となった。
- 公式サイト:https://dollyparton.com/
アーティストの軌跡
ドリー・パートンの音楽は、カントリー、ブルーグラス、ゴスペル、ポップに根ざしており、これらを自在に行き来する柔軟なスタイルで知られています。
彼女は1946年1月19日、テネシー州ピットマンセンターの貧しい家庭に12人兄弟の4番目として生まれました。父親は読み書きができませんでしたが、ドリーは父をビジネスセンスに長けた人物と評しています。母親は音楽好きで、ウェールズ系の祖先から受け継いだ古いバラードや民謡を子供たちに歌って聞かせました。
代表曲には「Jolene(ジョリーン)」「I Will Always Love You(アイ・ウィル・オールウェイズ・ラヴ・ユー)」「Coat of Many Colors(コート・オブ・メニー・カラーズ)」「9 to 5(ナイン・トゥ・ファイブ)」などがあります。
ローリング・ストーン誌の「最も偉大なシンガー200」で27位にランクインしています。
ドリーは幼少期から音楽に親しみ、6歳で教会で歌い始め、7歳で手作りのギターを演奏し始めました。8歳の時、叔父が初めての本物のギターを買ってくれました。
10歳の時には地元ノックスビルのラジオとテレビ番組「キャス・ウォーカー・ショー」に出演し、13歳でルイジアナの小さなレーベル、ゴールドバンド・レコードから「Puppy Love」をリリースしました。
同じく13歳の時、グランド・オール・オプリに出演し、ジョニー・キャッシュと出会いました。彼は若きドリーに「自分の直感に従ってキャリアを築きなさい」と励ましました。
1964年、高校を卒業した翌日、ドリーはナッシュビルへ移りました。
当初は作曲家として成功を収め、叔父のビル・オーウェンスと共にビル・フィリップスの「Put It Off Until Tomorrow」(1966年、カントリーチャート6位)やスキーター・デイヴィスの「Fuel to the Flame」(1967年、11位)などのヒット曲を書きました。
1965年、19歳でモニュメント・レコードと契約しましたが、レーベルは彼女の高いソプラノボイスをバブルガムポップ向きと考え、カントリー楽曲の録音を渋りました。
しかし「Put It Off Until Tomorrow」の成功後、レーベルは方針を変え、1967年に最初のカントリーシングル「Dumb Blonde」(24位)と「Something Fishy」(17位)をリリースし、デビューアルバム『Hello, I’m Dolly』を発表しました。
1967年、カントリー歌手ポーター・ワゴナーが彼女を自身のシンジケート番組「ザ・ポーター・ワゴナー・ショー」とツアーに招待しました。最初は前任者ノーマ・ジーンのファンから拒絶されましたが、ワゴナーの支援で徐々に受け入れられました。
ワゴナーの説得でRCAビクターと契約し、1967年後半にワゴナーとのデュエット「The Last Thing on My Mind」をリリースし、1968年1月にカントリートップ10入りを果たしました。
これが6年間続くヒットデュエットシリーズの始まりとなりました。
ソロ歌手としては、1970年まで苦戦が続きましたが、ワゴナーの勧めでジミー・ロジャースの「Mule Skinner Blues」をカバーし、3位まで上昇しました。
1971年2月には初のナンバーワンシングル「Joshua」を獲得し、同年には代表曲「Coat of Many Colors」(4位)をリリースしました。
1973年後半にリリースされた「Jolene」は、1974年2月にカントリーチャート1位を獲得し、ポップチャートでも60位に達しました。イギリスでは1976年に7位を記録し、彼女の初のUKトップ10ヒットとなりました。
1974年、ワゴナーとの関係に終止符を打つために書いた「I Will Always Love You」がカントリーチャート1位を獲得しました。
同じ時期、エルヴィス・プレスリーがこの曲の録音を希望しましたが、マネージャーのトム・パーカー大佐が出版権の半分を要求したため、ドリーは拒否しました。この決断が、後に何百万ドルもの印税収入をもたらすことになります。
1974年、ドリーは3曲(「Jolene」「I Will Always Love You」「Love Is Like a Butterfly」)でカントリーチャート1位を獲得し、女性カントリーアーティストとして確固たる地位を築きました。
1976年以降、ドリーはマネージャーのサンディ・ガリンと共に、よりメインストリームなポップ方向へのクロスオーバーを試みました。
1977年のアルバム『Here You Come Again』は彼女初のミリオンセラーとなり、タイトル曲はカントリーとポップ両チャートでトップ10入りを果たしました。
1980年、映画『9時から5時まで』に主演し、主題歌「9 to 5」を作曲しました。この曲は1981年初頭にカントリー、ポップ、アダルトコンテンポラリーの3チャートで同時に1位を獲得し、アカデミー賞の最優秀主題歌賞にノミネートされました。
1983年、ケニー・ロジャースとのデュエット「Islands in the Stream」(ビー・ジーズ作、バリー・ギブ プロデュース)が2週間ポップチャート1位を記録しました。
映画女優としても成功を収め、『9時から5時まで』(1980年)、『ベスト・リトル・ワアハウス・イン・テキサス』(1982年)でゴールデングローブ賞主演女優賞にノミネートされたほか、『ラインストーン』(1984年)、『マグノリアの花たち』(1989年)などに出演しました。
1986年、ドリーはドリーウッド・カンパニーを共同設立し、テネシー州のテーマパーク「ドリーウッド」や関連エンターテインメント施設を運営しています。
慈善活動にも熱心で、ドリーウッド財団を通じて教育支援や貧困救済プロジェクトを展開しています。
ドリーは世界中で1億枚以上のレコード・カセット・CDを売り上げ、史上最も売れたソロアーティストの1人です。グラミー賞を11回受賞し、エミー賞を3回受賞しています。
また、アカデミー賞に2回、ゴールデングローブ賞に6回、トニー賞に1回ノミネートされており、EGOT(エミー、グラミー、オスカー、トニーの全てを受賞すること)達成まであとトニー賞のみという状況です。
1986年にナッシュビル・ソングライターズ・ホール・オブ・フェイムに、1999年にカントリー・ミュージック・ホール・オブ・フェイムに殿堂入りを果たしました。
2011年にはグラミー生涯功労賞を受賞し、2025年にはジーン・ハーショルト人道賞(名誉オスカー)を受賞しました。
彼女は3,000曲以上を作曲し、そのレパートリーはカントリーからポップ、ゴスペル、ブルーグラスまで多岐にわたります。
ビルボード・カントリーチャートで25曲が1位を獲得し(レバ・マッキンタイアと並んで女性アーティスト最多記録)、過去40年間で110曲がチャートインしています。
ドリー・パートンの音楽と文化的影響は70年以上経った今でも色褪せることなく、多くのアーティストに影響を与え続けています。
彼女の謙虚さ、ユーモア、慈善活動、そして音楽的才能は、世代を超えて愛される理由となっています。
ディスコグラフィ
代表シングル
- 「Dumb Blonde|ダム・ブロンド」(1967年)
- 「Something Fishy|サムシング・フィッシー」(1967年)
- 「Mule Skinner Blues|ミュール・スキナー・ブルース」(1970年)
- 「Joshua|ジョシュア」(1970年)
- 「Coat of Many Colors|コート・オブ・メニー・カラーズ」(1971年)
- 「Touch Your Woman|タッチ・ユア・ウーマン」(1972年)
- 「Traveling Man|トラベリング・マン」(1973年)
- 「Jolene|ジョリーン」(1973年)
- 「I Will Always Love You|アイ・ウィル・オールウェイズ・ラヴ・ユー」(1974年)
- 「Love Is Like a Butterfly|ラヴ・イズ・ライク・ア・バタフライ」(1974年)
- 「The Bargain Store|ザ・バーゲン・ストア」(1975年)
- 「Here You Come Again|ヒア・ユー・カム・アゲイン」(1977年)
- 「Two Doors Down|トゥー・ドアーズ・ダウン」(1978年)
- 「Heartbreaker|ハートブレイカー」(1978年)
- 「Baby I’m Burnin’|ベイビー・アイム・バーニン」(1978年)
- 「You’re the Only One|ユーアー・ジ・オンリー・ワン」(1979年)
- 「Starting Over Again|スターティング・オーバー・アゲイン」(1980年)
- 「Old Flames Can’t Hold a Candle to You|オールド・フレイムズ・キャント・ホールド・ア・キャンドル・トゥ・ユー」(1980年)
- 「9 to 5|ナイン・トゥ・ファイブ」(1981年)
- 「But You Know I Love You|バット・ユー・ノウ・アイ・ラヴ・ユー」(1981年)
- 「I Will Always Love You|アイ・ウィル・オールウェイズ・ラヴ・ユー」(1982年 再録版)
- 「Islands in the Stream|アイランズ・イン・ザ・ストリーム」(1983年) ※ケニー・ロジャースとのデュエット
- 「Save the Last Dance for Me|セイヴ・ザ・ラスト・ダンス・フォー・ミー」(1983年)
- 「Tennessee Homesick Blues|テネシー・ホームシック・ブルース」(1984年)
- 「Real Love|リアル・ラヴ」(1985年) ※ケニー・ロジャースとのデュエット
- 「Think About Love|シンク・アバウト・ラヴ」(1985年)
- 「To Know Him Is to Love Him|トゥ・ノウ・ヒム・イズ・トゥ・ラヴ・ヒム」(1987年) ※エミルー・ハリス、リンダ・ロンシュタットとのトリオ
- 「Why’d You Come in Here Lookin’ Like That|ホワイド・ユー・カム・イン・ヒア・ルッキン・ライク・ザット」(1989年)
- 「Yellow Roses|イエロー・ローゼズ」(1989年)
- 「Rockin’ Years|ロッキン・イヤーズ」(1991年) ※リッキー・ヴァン・シェルトンとのデュエット
- 「When I Get Where I’m Going|ホエン・アイ・ゲット・ホエア・アイム・ゴーイング」(2005年) ※ブラッド・ペイズリーとのデュエット
- 「Jolene|ジョリーン」(2016年) ※ペンタトニックスとのコラボ
- 「Forever Country|フォーエバー・カントリー」(2016年) ※アーティスツ・オブ・ゼン・ナウ・アンド・フォーエバー
- 「There Was Jesus|ゼア・ワズ・ジーザス」(2019年) ※ザック・ウィリアムズとのデュエット
- 「World on Fire|ワールド・オン・ファイア」(2023年)