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Me and Bobby McGee ミー・アンド・ボビー・マギー / Janis Joplin ジャニス・ジョプリン

目次

曲の紹介

【曲名】Me and Bobby McGee(ミー・アンド・ボビー・マギー)
【アーティスト】Janis Joplin(ジャニス・ジョプリン)
【作詞・作曲】Kris Kristofferson(クリス・クリストファーソン)/Fred Foster(フレッド・フォスター)
【概要】
この曲は、アメリカのシンガーソングライターのクリス・クリストファーソンが、プロデューサーのフレッド・フォスターのアイデアでつくった。
アメリカのシンガーソングライターのロジャー・ミラーが1969年にシングルリリースし、クリストファーソン1970年アルバム「Kristofferson」に収録した。

ジャニス・ジョプリン・バージョンは、1971年1月に彼女の遺作としてリリースされたアルバム「Pearl(パール)」に収録され、シングルカットされ、全米ビルボード・ホット100チャートの1位を記録した。

ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500(2004年版)では147位にランキングされている。

【記事参照元】 Me and Bobby McGee -Wikipedia
【記事参照元 】Janis Joplin -Wikipedia
【歌詞引用元】Janis Joplin – Me and Bobby McGee Lyrics – Genius

曲の解釈

この曲の原案でのタイトルは、スタジオの秘書であった「バーバラ・ボビー・マッキー」の名前が付けられていましたが、クリストファーソンは彼女の姓を聞き間違えて「マギー」としたようです。
クリストファーソンは、この曲を通じて1954年公開フェデリコ・フェリーニの映画『道』のラストシーンの見られる絶望感を伝えようとしていました。

ジャニスは1970年10月4日に亡くなる直前までレコーディングを続け、翌年の1071年1月にこの曲が収録されたアルバム「パール」が遺作としてリリースされました。

そして彼女のバージョンは、ビルボード・ホット100で1位を獲得し大ヒットとなりました。

歌詞の内容は、主人公とボビー・マギーという愛し合う二人が、放浪する旅路を描いています。

二人はヒッチハイクでトラックに乗せてもらい、歌を歌いながらケンタッキーからカリフォルニアまでアメリカ南部を旅します。

カリフォルニアに辿り着いた後、二人は別々の道を歩むことになりましたが、
主人公は、今なおボビーへの愛を募らせています。

「ボビー」という名前はアメリカでは男女共に使われるため、この曲はいろいろな解釈でカバーされています。
ここでは、ジャニスの歌に合わせて、私が女性でボビーが男性の恋人として訳しました。

彼女の死は、過度の薬物中毒が原因でしたが、孤独から逃げようと苦しみながら亡くなったことを考えながらこの歌を聴くと、涙がとまりません。
彼女のバージョンは、まさに彼女の心の叫びが聴こえてくる名曲だと思います。

この曲は、以下をアップしています。
・Janis Joplin – Me And Bobby McGee (Audio)
・Janis Joplin – Me and Bobby McGee (Official Music Video)
・Joan Baez – Me and Bobby McGee

Janis Joplin - Me and Bobby McGee (Official Music Video)
Joan Baez - Me and Bobby McGee

歌詞の和訳

(原詞:太文字)

Me and Bobby McGee

Busted flat in Baton Rouge, waitin’ for a train *1
バトンルージュでパンクして、汽車を待っていた
When I was feelin’ near as faded as my jeans
履いている色褪せたジーンズのような気分で
Bobby thumbed a diesel down, just before it rained *2
ボビーが親指でディーゼル車を止めた、雨になる前に
That rode us all the way in to New Orleans
私たちはニューオーリンズまで乗っていった
I pulled my harpoon out of my dirty red bandana
私は自分の汚れたバンダナからハーモニカを取り出し
I was playin’ soft while Bobby sang the blues, yeah
ボビーがブルースを歌ってる間、静かに吹いていた
Windshield wipers slappin’ time, I was holdin’ Bobby’s hand in mine
ワイパーがリズムを打ち、私はボビーの手を握りしめて
We sang every song that driver knew
私たちは運転手が知ってるすべての歌を歌った

Freedom’s just another word for nothin’ left to lose *3
自由ってつまりは、何も失うものが何もないっていうこと
Nothin’, don’t mean nothin’, honey, if it ain’t free, no no
何もないって、意味がないの、ハニー、無償でないのなら、そう
Yeah, feelin’ good was easy, Lord, when he sang the blues
簡単に気持ちよくなれた、ああ、彼がブルースを歌ってたら
You know feelin’ good was good enough for me
気持ちよくなれたら、私はじゅうぶんだった
Good enough for me and my Bobby McGee
私とボビー・マギーにはじゅうぶんだった

2)
From the Kentucky coal mine to the California sun *4
ケンタッキーの炭鉱からカリフォルニアの太陽まで
Yeah, Bobby shared the secrets of my soul
ボビーは私の心の秘め事を分かち合ってくれた
Through all kinds of weather, through everything we done
どんな天気でも、何をしたときも
Yeah, Bobby baby kept me from the cold
そう、ボビーはいつも私を寒さから守ってくれた
One day up near Salinas, Lord, I let him slip away *5
ある日サリナスの近くで、ああ、私は彼を手放してしまった
He’s lookin’ for that home, and I hope he finds it
彼は家庭を求め、私も彼がそれを見つけることを望んでる
But I’d trade all of my tomorrows for one single yesterday
だけど私の明日すべてを、昨日の1日に変えたっていい
To be holdin’ Bobby’s body next to mine *6
隣にいるボビーの身体を抱きしめるためなら

Freedom’s just another word for nothin’ left to lose
自由ってつまりは、何も失うものが何もないっていうこと
Nothin’, and that’s all that Bobby left me
何もない、それがボビーが私に残したすべて
Well feelin’ good was easy, Lord, when he sang the blues
そう簡単に気持ちよくなれた、ああ、彼がブルースを歌ってたら
Hey feelin’ good was good enough for me, hmm hmm
気持ちよくなれたら、私はじゅうぶんだった
Good enough for me and my Bobby McGee
私とボビー・マギーにはじゅうぶんだった

La la la la la la la la la la la la la la
ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ
La la la la la Bobby McGee
ラ ラ ラ ラ ラ ボビー・マギー
La la la la la la la la la la
ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ
La la la la la Bobby McGee la
ラ ラ ラ ラ ラ ボビー・マギー イェー ラー
La la la la la la la la la La La la la la la la la la
ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ ラ
Hey now Bobby now Bobby McGee yeah
ねえ今、 ボビー ナウ ボビー・マギー イェー
Na na na na na na na na na
ナ ナ ナ ナ ナ ナ ナ ナ ナ
na na na na na na na na na na
ナ ナ ナ ナ ナ ナ ナ ナ ナ ナ
Hey now Bobby now Bobby McGee yeah
ねえ今、 ボビー ナウ ボビー・マギー イェー
Lord, I called him my lover, called him my man
ああ、私は彼を恋人と呼び、私の男と呼んだ
I said I called him my lover just the best I can and come on
私は彼を恋人と呼び、できることはやったと言ったわ、さあ
And and a Bobby oh, and a Bobby McGee yeah
だから だから ボビー ああ、だから ボビー・マギー イェー
Lo lo lo lo lo lo lo lo lo lo lo lo
ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ
Hey hey hey Bobby McGee lord
ねえ、ねえ、ねえ、ボビー・マギー、ああ

キーワード

*1 Busted flat in Baton Rouge :
Busted flat“「破裂してタイヤの空気が抜けた」意味で「パンクした」としました。
Baton Rouge“米国ルイジアナ州南東部の都市(ミシシッピ川に面している)

*2 thumbed a diesel down : 直訳では「親指で合図してディーゼル(トラック)を止めた」を文脈から「親指でディーゼル車を止めた」としました。

*3 another word : 「言い換えると」の意味で「つまりは」としました。

*4 coal mine : 「炭鉱」「鉱山」

*5 Salinas : 米国カリフォルニア州モントレー郡の都市

*6 next to mine : 「私の隣の」の意味で「隣にいる」としました。

アーティストの紹介

【名 前】Janis Joplin(ジャニス・ジョプリン)
【生誕】1943年1月19日(1970年10月4日没(没年27歳))
【出身地】アメリカ テキサス州ポートアーサー
【概要】

彼女は小さい頃から、ブルースを聴いて育ち、地元の聖歌隊にも所属していた。

大学時代に、心無い男子学生による非公式な「ブスコン」でトップに選ばれ、ショックを受けて大学を中退した。
1963年にサンフランシスコへ移り、フォーク・シンガーとして活動していたが、この頃に麻薬、アルコールの常習が始まったとされる。

しかし、彼女の本当の姿はイメージと大きくちがい、彼女の妹ローラの手記「Love,Janis」によると、彼女は知的でシャイで家族思いの繊細な性格だったとのこと。

1966年ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーというバンドに参加する。
1967年バンドのファースト・アルバム「ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー」をリリースしたが、バンドの演奏力の不足もあり、売れ行きは不振だった。

1967年6月にカルフォルニア・モントレー(モンタレー)で行われた「モントレー(モンタレー)・ポップ・フェスティバル」で、ジミ・ヘンドリックスやオーティス・レディングらのように、この野外コンサートで初めて知られるようになった。

このコンサートの模様は、1968年公開された「Monterey Pop」(邦題:モンタレー・ポップ フェスティバル’67)という映画で観ることができる。

1969年リリースしたアルバム「チープ・スリル」では、ブルースのスタンダードナンバーの「サマータイム」や「ポール・アンド・チェイン」など、生々しく迫力のある歌が収録されており、ますます評価されるようになった。

1969年に新しいバンド「コズミック・ブルース・バンド」でアルバム「コズミック・ブルースを歌う」をリリースし、1969年8月にニューヨーク州で行われた「ウッドストック・フェスティバル」に出演した。

その後、新しいバック・バンド「フル・ティルト・ブギー・バンド」を結成した。

1970年4月に2枚目のアルバム「パール」のレコーディングに姿を見せなかった彼女を、スタッフがホテルへ訪ねると、ベッドの横で倒れていたのを発見した。傍らには小銭と封の切られていないマールボローがあったとのこと。
27才という若さで亡くなり、死因は過度の薬物中毒によるものとされている。

1971年1月彼女の死後に、アルバム「パール」はリリースされた。

一部の曲は、未完成のまま収録されたが、アルバムとシングル「「ミー・アンド・ボビー・マギー」と共に、ビルボード誌全米1位を獲得した。

彼女が生前、最後に公の場(1970年6月、8月放映のTV番組)で、自分は高校の同窓会に出席する予定だと述べ、今までクラス、学校、町、そして国中の笑い者だったと語っている。

これは、ジャニスの孤独感を表す象徴的なエピソードとして語られている。

彼女は死後、1995年にロックの殿堂入りを果たした。
2004年の「史上最も偉大な100組のアーティスト」で46位、
2008年の「史上最も偉大な100組のシンガー」で28位にランクインした。

彼女はその短い生涯で多大な影響を残し、彼女の音楽は今日でも多くのアーティストに影響を与え続けている。

代表アルバム

スタジオ・アルバム

 1967年 ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー / Big Brother and the Holding Company

1968年 チープ・スリル / Cheap Thrills

created by Rinker
Columbia

1969年 コズミック・ブルースを歌う / I Got Dem Ol’ Kozmic Blues Again Mama!

1971年 パール / Pearl

created by Rinker
ソニーミュージックエンタテインメント

ライブ・アルバム

1972年 ジョプリン・イン・コンサート / In Concert

ベスト・アルバム

1973年 グレイテスト・ヒッツ / Janis Joplin’s Greatest Hits

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