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No Woman, No Cry ノー・ウーマン、ノー・クライ / Bob Marley and The Wailers ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ

ボブ・マーリー画像
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目次

曲の紹介(No Woman, No Cry ノー・ウーマン、ノー・クライ)

【曲 名】No Woman, No Cry(ノー・ウーマン・ノー・クライ)
【アーティスト】Bob Marley and The Wailers(ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ)
【作詞・作曲】Vincent Ford(ビンセント・フォード)
【概 要】1974年にアルバム”Natty Dread'”に収録され、1975年のライブアルバム”Live!“からシングルカットされたライブバージョンが有名となり、彼の代表曲の一つとなった。

作詞・作曲はビンセント・フォードとクレジットされているが、ボブが作り著作権を友達の彼に譲ったのではと言われている。

ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500(2004年版)では37位にランキングされている。

【記事参照元】No Woman, No Cry-Wikipedia
【画像引用元】Bob Marley-Wikipedia
【原詞引用元】Bob Marley & The Wailers–No Woman, No Cry Lyrics-Genius

曲の解釈

題名の”No woman, No cry”ですが、「泣かない女性は、いない」と意味がとれそうですが、ジャマイカの言葉では”No woman, nuh cry”と発音され、意味としては”Woman, don’t cry”となるそうです。

歌詞に出てくるトレンチタウン (Trenchtown)は、ジャマイカの首都キングストン(Kingston)にあるスラム街的なエリヤで、居住区の住人の生活は貧しく、治安も劣悪な環境のようです。

ここが、ボブ・マーリーやその他のレゲエミュージシャンたちの活動の拠点となったようです。

この歌詞は、そんな町の様子やボブがほんとうに経験してきたことだろうと思われる内容になっています。

ジャマイカという国は古くはスペイン、イギリスの植民地で、労働者として黒人が西アフリカから連れてこられ強制労働や人身売買などが横行した悲しい歴史を持っているようです。

そんな中で、ボブはレゲエという音楽を通じて社会をよくしたい、社会から押さえつけられている弱者である黒人、女性、子供たちを救いたかったのではと思います。

この歌は、そんな弱者でこの町で迫害されてきたであろう”Woman”に呼びかけて、「泣いてはだめだ、奴らに油断してはだめだ、俺たちの仲間はみんな消されてきたじゃないか、もっと強くなるんだ」と背中を押しているように思えます。

ぜひ、動画を観ながら訳詞を追ってみてください。

また、ライブの動画は1979年7月21日ボストンで行われたAmandla Festivalでのライブ映像ですが、このフェスティバルの目的が南アフリカの人権の自由をサポートするもので、ほんとうに、ボブの心の叫びが聞こえてきて泣けます。

Bob Marley - No Women No Cry (Original)
Bob marley "no woman no cry" 1979
Live at Amandla Festival

歌詞の和訳(No Woman, No Cry ノー・ウーマン、ノー・クライ)

(原詞:太文字)

No Woman, No Cry

No woman, no cry
だめだ彼女、泣いちゃいけない
No woman, no cry
だめだ彼女、泣いちゃいけない
No woman, no cry
だめだ彼女、泣いちゃいけない
No woman, no cry
だめだ彼女、泣いちゃいけない

I remember when we used to sit
忘れない、俺たちはよく座り込んで
In the government yard in Trenchtown *1
トレンチタウンの公共広場に
Oba, observing the hypocrites
監視してたんだ、偽善者たちを
As they would mingle with the good people we meet
奴らは紛れ込もうとしてた、俺たちが出会う善良な人たちに
Good friends we have had, oh good friends we’ve lost
俺たちの良き友人たち、ああ、みんな失ってしまった、
Along the way *2
これまでに
In this bright future you can’t forget your past
こんな明るい未来でも、君には過去を忘れられない
So dry your tears I say
だから、涙を拭いてくれ

No woman, no cry
だめだ彼女、泣いちゃいけない
No woman, no cry
だめだ彼女、泣いちゃいけない
Little darling don’t shed no tears
可愛いダーリン、涙を流さないで
No woman, no cry
だめだ彼女、泣いちゃいけない

2)
Said, I remember when we used to sit
忘れないさ、俺たちはよく座り込んでた
In the government yard in Trenchtown
トレンチタウンの公共広場に
And then Georgie would make the fire light
そして、ジョージが火を灯してくれた
Log wood burning through the night
丸太を燃やしながら、一晩中
Then we would cook corn meal porridge *3
それから、俺たちはコーンミール・ポリッジを作った
Of which I’ll share with you *4
それを、君と分け合うんだ

My feet is my only carriage
足だけが、俺の唯一の馬車
So I’ve got to push on through
だから、突き進むしかない
But while I’m gone *5
だけど、俺はまだ行ったきり

Everything’s going to be alright
何もかも、よくなるさ
(Repeat 8 Times)

So, woman, no cry,
だから彼女、泣いちゃいけない
No, no, woman, woman, no cry
だめだ、だめだ、彼女、彼女、泣いちゃいけない
Woman, little sister, don’t shed no tears,
彼女、妹よ、涙を流さないで
No, woman, no cry
だめだ、彼女、泣いちゃいけない

キーワード

*1 government yard : 「政府所有の庭、囲い地」を「公共の広場」としました。

*2 Along the way : 「~の途中で」「ここまでに」から「これまでに」としました。

*3 corn meal porridge : 「コーンミール・ポリッジ」ジャマイカの料理で、コーンの粉で作った日本でいう、おかゆみたいなものだそうですが、おかゆとちがうのは、水ではなくミルクで炊くそうです。

*4 share with : 「~と分け合う、分かち合う」

*5 But while I’m gone : これ以上の記述がないので、具体的な意味が分かりませんが、”while”を「~の間」ではなく、「まだ、未だ」と解して、「まだ、俺はいないまま」の意味で「俺はまだ行ったきり」としました。これは主人公が、囚われてるか追われているかの理由と推察しました。

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アーティストの紹介(Bob Marley ボブ・マーリー)

【名 前】Bob Marley(ボブ・マーリー)本名:Robert Nesta Marley(ロバート・ネスタ・マーリー)
【生 誕】1945年2月6日 – 1981年5月11日
【出身地】ジャマイカ
【概 要】
1963年にプロの音楽家としての活動を始めて、ピーター・トッシュとバニー・ウェイラーと共にTeenagersというグループを結成した。

その後、「ザ・ウェイラーズ」という名前に変えて、1965年にアルバム「The Wailing Wailers」をリリースし、収録曲「One Love」は世界的なヒットとなり、レゲエ界の注目グループとして知名度を上げた。

グループ名も「ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ」と変え、1971年アルバム「The Best of The Wailers」をリリースし、世界的な注目を集め始め、1973年アルバム「Catch a Fire」「Burnin’」をリリース。

バンド解散後もバンド名の名前で、1974年アルバム「Natty Dread」をリリースし評価された。
このアルバムに収録された「No Woman, No Cry」は、1975年のライブアルバム「Live!」からシングルカットされたライブ・バージョンが大ヒットとなった。

1976年アルバム「ラスタマン・ヴァイブレーション」は、全米トップ10入りを果たし、ビルボード誌のR&Bアルバム・チャートで初めて11位を記録した。

彼は、ラスタファリ運動の思想を持ち音楽活動を続け、社会的なメッセージを音楽を通じて発信し続け、世界的に多くの人々に影響を与えた。

当時のジャマイカは、国内が2大政党が対立しており、社会情勢が非常に不安定で危険な状態だった。
彼は、そんな混沌とするジャマイカに微笑みをとする趣旨の「スマイル・ジャマイカ・コンサート」というコンサートを企画した。
しかし、このコンサートに反対する警告や脅迫が多くなされた。

そして1976年12月3日に、リハーサル中に6人の男に襲撃を受けた。
重傷者も出て、ボブも胸と腕を撃たれたが命に別状はなかった。

二日後のコンサートに出演したが、後に出演した理由を尋ねられたとき、「この世界を悪くさせようとしてる奴らは休みなんか取っちゃいない。それなのに僕が休むなんて事ができるかい?」と語った。

その後、活動拠点をロンドンに移し、精力的に音楽活動を続けた。
1977年にアルバム「Exodus」は、イギリスで大ヒットとなり56週連続チャートインを記録した。

1977年に足の親指に悪性のメラノーマ(悪性黒色腫)見つかり、親指の切断を医師から勧められたが拒否し、処置に留めツアーを続けた。

1981年5月11日、がんの転移により妻と母に見守られながら、息を引き取った。
彼の世界中のファンは悲しみを表し、彼はジャマイカで国葬を受けた。

彼の死後1984年に、アルバム『Legend』がリリースされ、史上最高のレゲエアルバムとなった。
彼は、生涯において推定7500万枚以上のレコードの売上げ、史上最高の音楽アーティストの一人としてランクされている。

彼は、ジャマイカ音楽を世界に広め、レゲエを国際的なジャンルに押し上げた。
「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」に於いては、第19位にランクされている。

彼の歌詞は政治的な内容を含み、平和と愛のメッセージを伝えており、永遠に多くの人々に愛され続けていくと思われる。

アルバムの紹介

1973年 Burnin’

1974年 Natty Dread

1975年 Live!

1984年 Legend ~The Best of Bob Marley & The Wailers

2024年 ONE LOVE-オリジナル・サウンドトラック

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