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Smoke on the Water スモーク・オン・ザ・ウォーター / Deep Purple ディープ・パープル

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目次

曲の紹介(Smoke on the Water スモーク・オン・ザ・ウォーター)

【曲 名】Smoke on the Water(スモーク・オン・ザ・ウォーター)
【アーティスト】Deep Purple(ディープ・パープル)
【作詞・作曲】
Ian Gillan(イアン・ギラン),
Roger Glover(ロジャー・グローヴァー),
Ritchie Blackmore(リッチー・ブラックモア),
Jon Lord(ジョン・ロード),
Ian Paice(イアン・ペイス)
【概 要】
イギリスのロックバンド「ディープ・パープル」が、1972年にリリースした6枚目のアルバム「Machine Head(マシン・ヘッド)」に収録され、シングルは1973年に全米ビルボード・ホット100で4位となる大ヒットとなった。

この曲は、1971年12月4日に起きたモントルー・カジノの火事やその後のレコーディングについて忠実に語っている。

ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500(2004年版)では、426位にクレジットされている。

【記事参照元】: Smoke on the Water-Wikipedia
【記事参照元】: Deep Purple-Wikipedia
【原詞引用元】:Deep Purple–Smoke on the Water-Lyrics

曲の解釈

この曲は、1971年12月4日スイスのモントルーで開催された、モントルー・ジャズ・フェスティバルで、実際に起きた火災での出来事と、その後廃墟のようなホテルでレコーディングをした様子を、忠実に描いています。

曲に出てくるように、会場のモントルー・カジノではフランク・ザッパのバンドが演奏中で、観客の一人が信号弾を撃って火災となりました。
そこで、歌詞ではFunky Claudeと言っていますが、主催者の「クロード・ノブス」が、観客救出に尽力をつくした様子が書かれています。

そして面白いのは、この曲はレコーディングが終わってみて、レコードにするには、1曲分足りないということがわかり、急遽バンドみんなで即興的に作り上げたということです。

メンバーのインタビュー動画によると、実際に起きたことを歌詞にするだけだったので、割と簡単にできたそうです。
そのおまけで作った曲が、彼らの代表する大ヒットとなりました。

このバンドは、当時のロック界に金字塔を立てるほどの多大な影響を残し、個人的にも彼らにロックの洗礼を受けました。
ほんとうに、歴史に残るバンド、名曲だと思います。

動画は、下記をアップしています。
1. 1972年アルバム「マシン・ヘッド」収録版
2. 1984年シドニーでのライブ
3. アニメで歌詞を表現したオフィシャルのミュージック・ビデオ

Deep Purple - Smoke on the Water (Live, Sydney, 1984)
Deep Purple - Smoke On the Water (Official Music Video)

歌詞の和訳(Smoke on the Water スモーク・オン・ザ・ウォーター)

(原詞:太文字)

Smoke On The Water

We all came out to Montreux *1
俺たちは、全員でモントルーへやって来た
On the Lake Geneva shoreline *2
ジュネーヴ湖のほとりの
To make records with a mobile
レコーディングのために車で
We didn’t have much time
充分な時間はなかった
Frank Zappa and the Mothers *3
フランク・ザッパ&マザーズは
Were at the best place around
最高な場所にいた
But some stupid with a flare gun *4
だが、照明弾をもったバカが
Burned the place to the ground
その場所を燃やしてしまった

Smoke on the water
水面に上る煙
And fire in the sky
そして空に広がる炎
Smoke on the water
水面に上る煙

2)
They burned down the gambling house
カジノは焼き払らわれた
It died with an awful sound
それは恐ろしい音と共に
Funky Claude was running in and out *5
ファンキー・クロードは出たり入ったりして
Pulling kids out the ground
若者たちを外へ引っ張りだしていた

When it all was over
全てが終わった時には
We had to find another place
別の場所を探さなければいけなくなった
But Swiss time was running out
だが、スイスでの時間は過ぎていき
It seemed that we would lose the race *6
もう、あきらめるしかないと思えた

Smoke on the water
水面に上る煙
And fire in the sky
そして空に広がる炎
Smoke on the water
水面に上る煙

3)
We ended up at the Grand Hotel
俺たちはグランド・ホテルにたどり着いた
It was empty, cold and bare
そこは誰もいなくて寒く、むき出しの状態だった
But with the Rolling-truck-Stones-thing just outside *7
だが、外にあるローリング・ストーンズのトラック・ユニットで
Making our music there
音楽を作りながら
With a few red lights, a few old beds
いくつかの赤いライトや、いくつかの古いベッドで
We made a place to sweat
汗を流す場所を作った
No matter what, we get out of this
何はともかく、ここから出るんだ
I know, I know we’ll never forget
ほんと、ほんとうにずっと忘れられないだろう

Smoke on the water
水面に上る煙
And fire in the sky
そして空に広がる炎
Smoke on the water
水面に上る煙

キーワード

*1 Montreux : スイスのレマン湖畔にあるリゾート地

*2 Lake Geneva :フランス読み「 Lac Léman(レマン湖)」、英語読み「ジュネーヴ湖」は、スイスとフランスにまたがる三日月型の湖で、下流はローヌ川で地中海につながる。

*3 Frank Zappa and the Mothers :
「Frank Zappa(フランク・ザッパ)」は、アメリカの作曲家・ギタリスト
「the Mothers/The Mothers of Invention(マザーズ・オブ・インヴェンション)」は彼が率いたバンド

*4 flare gun : 「信号拳銃、照明弾」

*5 Funky Claude : Claude Nobs(クロード・ノブス)のことで、モントルー・ジャズ・フェスティバルの創始者で、この曲のとおり1971年12月4日に起きたモントルー・カジノの火事では、多くの観客たちを救出した。

*6 lose the race :「競争(レースに)負ける」という意味ですが、文脈から「あきらめるしかない」としました。

*7 the Rolling-truck-Stones-thing :ローリング・ストーンズが所有していた録音設備搭載の車両(モービル・ユニット)です。
これがあれば、好きな場所でレコーディングができ、当時は、ディープ・パープルだけでなく、レッド・ツェツペリンやボブ・マーリーなども借りていたようです。
ここでは「ローリング・ストーンズのトラック・ユニット」としました。

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アーティストの紹介(Deep Purple ディープ・パープル)

【名前】Deep Purple(ディープ・パープル)
【初期メンバー】
【活動期】1968年 –
【結成地】ロンドン、イングランド
【概要】
ディープ・パープルは、1968年にロンドンで結成され、ハードロックとヘビーメタルの先駆者として賞賛された。

第1期と呼ばれる初期のメンバーは、
リッチー・ブラックモア/Ritchie Blackmore(ギター)、
ジョン・ロード/Jon Lord(キーボード)、
イアン・ペイス/Ian Paice(ドラム)、
ニック・シンパー/Nick Simper(ベース)、
ロッド・エヴァンス/Rod Evans(ヴォーカル)で、
当時はめずらしくギターとキーボードの両方をフィーチャーしたパーフォーマンスを行った。

1968年デビューアルバム「ハッシュ/Shades of Deep Purple」は当時流行していたサイケデリック・ロックやアート・ロックの流れを汲んでいた。

初期の音楽は、ジョン・ロードの音楽的な主導によるプログレッシブやクラシック音楽色の強いロックだった。

1969年には、イアン・ギラン/Ian Gillan(ヴォーカル)とロジャー・グローヴァー/Roger Glover(ベース)が加入し、第2期と呼ばれる人気絶頂の時期を迎えた。

1970年アルバム「Deep Purple in Rock」により、リッチー・ブラックモアのギターを中心としたハードロックバンドとしての路線を歩み始めた。

1971年アルバム「ファイアボール/Fireball」は、イギリスでチャート1位、アメリカのビルボード・チャートで32位を記録した。
しかし、リッチーは多忙なスケジュールのために、納得のいく作品に仕上がらなかったと不満を漏らしている。

1972年にリリースした「マシンヘッド/Machine Head」は、納得のいくレコーディングを求めて、ローリング・ストーンズの所有するモービル・ユニットをレンタルして、スイス・モントルーのレマン湖(ジェネバ湖)のほとりにあるカジノへ向かった。

ところが、モントルー・ジャズ・フェスティバルでフランクザッパのザ・マザーズ・オブ・インヴェンションの演奏中に、興奮した観客が天井へ照明弾を打ち込み火災となり、カジノは焼け落ちてしまった。

しかたなく、彼らは閉鎖されていた廃墟のようなホテルで、レコーディングを行った。

しかし、レコードにするには1曲分が足りず、バンドメンバー全員が目撃したカジノの火災やレコーディングのことをそのまま、即興で曲にした。

こうして、名曲「スモーク・オン・ザ・ウォーター/Smoke On The Water」が生まれた。
アルバム「マシンヘッド」とシングル・カットされた「スモーク・オン・ザ・ウォーター」は、世界的な大ヒットとなった。

1972年には来日公演を行い、日本公演でのライブアルバム「ライヴ・イン・ジャパン(欧米ではMade in Japan名でリリース)」は高く評価され、ロック史上に残る名作と言われている。

しかしツアーでの疲労や、ブラックモアとギランとの不仲などから、ギランとグローヴァーは脱退し、第2期は終わりを迎えた。

1973年に、デビッド・カヴァデール/David Coverdale(ヴォーカル)とグレン・ヒューズ/Glenn Hughes(ベース)が加入し、バンドは第3期をスタートさせた。

1974年に8枚目のアルバム「紫の炎/Burn」を発表し、タイトル曲の「Burn」と共に大ヒットとなった。

その後、メンバー交代を繰り返しながら、第10期(2022年-)以降も活動を続け、その独創的なサウンド、そして不朽の名曲によって、ロック界の伝説的なバンドとなった。

アルバムの紹介


1970年 Deep Purple In Rock


1972年 Machine Head

created by Rinker
ワーナーミュージック・ジャパン


1972年 Made In Japan(欧米リリース版)


1972年 Live In Japan(ライヴ・イン・ジャパン/日本リリース版)

created by Rinker
ワーナーミュージックジャパン


1974年 Burn

created by Rinker
ユニバーサル ミュージック


2007年 The Very Best Of DEEP PURPLE

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