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The House of the Rising Sun 朝日のあたる家 / Bob Dylan ボブ・ディラン

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目次

曲の紹介「The House of the Rising Sun 朝日のあたる家」

  • 曲名:The House of the Rising Sun(朝日のあたる家)
  • アーティスト:
    • Bob Dylan(ボブ・ディラン)
      • Bob Dylanの収録アルバム「Bob Dylan」1962年リリース 1thアルバム
    • Joan Baez(ジョーン・バエズ)
      • Joan Baezの収録アルバム「Joan Baez」1960年リリース 1thアルバム
    • Animals(アニマルズ)
      • Animalsの収録アルバム「The Animals」1964年リリース 1thアルバム(アメリカ)
    • Woody Guthrie(ウディ・ガスリー)
    • The Ventures(ザ・ベンチャーズ)他
  • 作詞・作曲:アメリカの民謡
  • サマリー:
    • 色々なアーティストがレコーディングしており、古くは1941年ウディ・ガスリー、1960年ジョーン・バエズ、1962年ボブ・ディランがレコーディングしており、1964年アニマルズがロック調にリメイクして世界的な大ヒットとなった。
    • アメリカのフォークソングとして歌い継がれてきて、”Rising Sun Blues”とも呼ばれ、貧しい少女が娼婦に身を落として生きてきた自分の半生を、ブルースのように悲しく語っている(アニマルズバージョンでは、男性が身を崩して刑務所(少年院)に行く内容になっている)
    • ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500(2004年版)では122位にランキングされている。
  • 記事参照元:
    • 朝日のあたる家 -Wikipedia
    • Bob Dylan -Wikipedia
  • 原詞引用元:Bob Dylan–House of the Rising Sun Lyrics-Genius
  • 原詞引用元:Joan Baez–House of the Rising Sun Lyrics-Genius

曲について

このサイトでは、原曲に近いであろうボブ・ディランバージョンと、まさに主人公の女性が語るように歌っているジョーン・バエズ・バージョンを訳しました。

ボブ・ディランのバージョンは最初は淡々と歌い始め、だんだんと情念を込めた歌い方へと変わり、心の叫びが感じられます。彼は若い頃からこの曲をレパートリーにしていたようです。

その後アニマルズがロック調でヒットさせましたが、ディランはそれもとても気に入り、その後に彼がロックへ転身のきっかけの一つにもなったということです。

歌詞は、おそらく昔の原曲に近いのだろうと思います。

歌詞の内容は、ギャンブラーの恋人のせいで、ニューオーリンズへ行き、RisingSun(朝日楼と訳しています)と呼ばれる娼婦館で身を持ちくずした女性が、妹へ自分の半生と警告、そしてまた朝日楼へ帰って人生に幕をとじる意向を語っている内容です。

昔の貧しい家庭では、実際にあったであろう物語を想像させる、もの悲しい曲で心をうたれます。

ジョーン・バエズバージョンは少し歌詞が短くまとめられていますが、内容は同じです。特に彼女が歌うと主人公の女性が語っているようで、とても素敵なので合わせて訳しました。

曲の動画

以下の動画をアップしています。

  • 1962年Bob Dylan録音版
  • 1960年Joan Baez録音版
  • 1964年The Animalsのミュージック・ビデオ
Joan Baez - House of The Rising Sun, 1960
The Animals - House of the Rising Sun (1964) ♫ 60+ YEARS 🎶⭐ ❤

歌詞の和訳「The House of the Rising Sun 朝日のあたる家」

ボブ・ディラン

(原詞:太文字)

The House of the Rising Sun

There is a house in New Orleans
ニューオリンズにある家がある
They call the Rising Sun
朝日のあたる家と呼ばれてる
And it’s been the ruin of many a poor girl and me, *1
そこは奈落だった、多くの貧しい少女たちと私の
Oh God, I’m one
ああ神よ、私もその一人

2)
My mother was a tailor,
私の母は、仕立て屋で
She sewed these new blue jeans
これら新しいジーンズを縫ってくれた
My sweetheart was a gambler
私の恋人はギャンブラーで
Lord, down in New Orleans
ああ、ニューオーリンズへ落ちて行った

3)
Now the only thing a gambler needs
さし当り、ギャンブラーが唯一必要なのは、
Is a suitcase and trunk
スーツケースとトランクだけ
And the only time he’s satisfied
そして彼が唯一満たされるのは、
Is when he’s on a drunk
お酒を飲んでる時

4)
He fills his glasses up to the brim
グラスのフチまで、並々と注ぎ
And he’ll pass the cards around
それから、カードを配ろうとする
And the only pleasure he gets out of life
そして人生から逃げられる唯一の喜びは、
Is rambling from town to town
街から街へと、流れていくこと

5)
Oh, tell my baby sister
ああ、私の愛しい妹へ言っておく
Not to do what I have done
私のようなことをしてはだめと
But shun that house in New Orleans
ニューオリンズのあの家には近よってはだめ
They call the rising sun
朝日のあたる家と呼ばれてる

6)
Well with one foot on the platform *2
さて、プラットホームと
And the other foot on the train *2
列車を乗り降りして
I’m going back to New Orleans
ニューオリンズに帰っている
To wear that ball and chain
あの足かせをはめるために

7)
I’m going back to New Orleans,
私はニューオリンズに帰ってる
My race is almost run
人生のレースは、ほとんど走り切った
I’m going back to end my life
人生を終わらせに帰るの
Down in the rising sun
あの朝日のあたる家へ

8)
There is a house in New Orleans
ニューオリンズにある家がある
They call the Rising Sun
朝日のあたる家と呼ばれてる
And it’s been the ruin of many a poor girl
そこは奈落だった、多くの貧しい少女たちの
And me, oh God, I’m one
そう私も、ああ神よ、私もその一人

ジョーン・バエズ

(原詞:太文字)

The House of the Rising Sun

There is a house in New Orleans
ニューオリンズにある家がある
They call the Rising Sun
朝日のあたる家と呼ばれてる
And it’s been the ruin for many poor girl
そこは奈落だった、多くの貧しい少女たちの
And me, oh God, for one
そう私も、ああ神よ、その一人

2)
If I had listened to what my mother said
もし母さんの言うことを聞いていたら
I’d have been at home today
今も家にいたはず
But I was young and foolish, oh God
だけど私は若くて愚かだった、ああ神よ
Let a rambler lead me astray *3
流れ者が私を堕落へと導いた

3)
Go tell my baby sister *4
私の愛しい妹へ伝えて
“Don’t do what I have done”
「私のようなことをしてはだめよ」と
But shun that house in New Orleans
ニューオリンズのあの家には近よってはだめ
They call the Rising Sun
朝日のあたる家と呼ばれる

4)
I’m going back to New Orleans
私はニューオリンズに帰ってる
My race is almost run
私のレースは、ほとんど走り切った
I’m going back to spend my life
自分の人生をすごしに帰ってる
Beneath that Rising Sun *5
あの朝日のあたる家で

キーワード

  • *1 ruin: 「廃墟、荒廃」ですが、文脈から「奈落」としました。
  • *2 with one foot on the platform and the other foot on the train: 直訳では「片方の足をプラットホームへ乗せ、もう片方の足を列車に乗せ」ですが、列車を沢山乗り継いだという意味で「プラットホームと列車を乗り降りして」としました。
  • *3 astray: 「迷って」「道からそれて」「堕落して」
  • *4 Go tell:「伝える」「伝えに行く」
  • *5 Beneath: 「~の下で」から、「朝日のあたる家で(残りの人生をすごしに)」としました。
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アーティストの紹介

Bob Dylan ボブ・ディラン

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インフォメーション

  • 名前:Bob Dylan(ボブ・ディラン)
  • 出生名:ロバート・アレン・ジマーマン(Robert Allen Zimmerman)
  • 生誕:1941/5/24-
  • 出身地:アメリカ ミネソタ州ヒビング(生誕はミネソタ州ダルース)
  • サマリー
    • ボブ・ディランは、アメリカのシンガーソングライターであり、20世紀の音楽シーンにおいて最も影響力のあるアーティストの一人とされている。
    • 彼の音楽は、フォーク、ロック、ブルースなど多様なジャンルを融合させ、特に歌詞の文学的な深さが評価されている。
  • 公式サイト:https://www.bobdylan.com/

アーティストの軌跡

ボブ・ディランは、フォーク、ロック、ブルースなど様々な音楽の境界線を押し広げ、時代を映し出す詩的な歌詞で、世代を超えて人々の心を捉えてきました。

その名は、半世紀以上にわたり、ロックの歴史そのものとして、音楽界に燦然と輝いています。

幼少期から音楽に親しんだディランは、ハイスクール時代にエルヴィス・プレスリーらに憧れ、バンドを組んで演奏活動を始めます。

1959年にはミネソタ大学に進学しますが、半年後には中退し、フォークシンガーとしての活動を始めます。この頃、ウディ・ガスリーの音楽に大きな影響を受け、ニューヨークへと旅立ちます。

1962年 デビューアルバム『ボブ・ディラン』をリリース、1963年2枚目のアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』をリリースし、収録曲の「風に吹かれて」をPPMがカバーして大ヒットし、ボブ・ディランの名を広めました。

彼の代表曲「風に吹かれて」や「The Times They Are a-Changin’」などは、当時のアメリカの差別社会に対する公民権運動や反戦運動のアンセムとなりました。

公民権運動が高まりを見せていたアメリカにおいて、ディランは次第に「フォークの貴公子」として多大な支持を受け、時代の代弁者とみなされるようになっていきました。

1965年リリースされた「ライク・ア・ローリング・ストーン」では、エレキギターを持ち、バックにThe Bandを従えてロックの演奏に切り替え、フォークからフォークロックへ演奏形態を変えました。

1966年ロイヤル・アルバートホールでのライブで、観客から「ユダ(裏切者)」と言われ、それに対して音量を上げて演奏したエピソードがライブ動画に残っています。

フォークからロックへの転換は物議を醸しましたが、「ライク・ア・ローリング・ストーン」「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」「追憶のハイウェイ61」「ブロンド・オン・ブロンド」など、60年代を代表する数々の名盤を生み出しました。

その後、多くの賞(2012年大統領自由勲章、グラミー賞10回以上、アカデミー賞等)を受賞し、2016年「偉大なアメリカ音楽の歴史上で、新しい詩的表現を生んだ」としてノーベル文学賞を受賞しています。

彼は賞や名誉に興味がないのか、あるいは自分の音楽が文学として認められたことに対する抵抗があったのかもしれませんが、当初受賞に無反応で授賞式も欠席しています。

いろいろ批判もあるようですが、彼はアルバムのタイトル「フリーホイーリン(自由奔放)」通りの人で、とてもボブ・ディランらしいなと個人的には思います。

アルバム

1963年 フリーホイーリン・ボブ・ディラン / The Freewheelin’ Bob Dylan

1964年 時代は変わる / The Time They Are a-Changin

1965年 追憶のハイウェイ61 / Highway 61 Revisited

1965年 ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム / Bringing It All Back Home

1966年 ブロンド・オン・ブロンド / Blond on Blonde

1975年 血の轍 / Blood on the Tracks

1976年 欲望 / Desire

ライブ・アルバム

1974年 偉大なる復活 / Before the Flood

ベスト・アルバム

1967年 ボブ・ディランのグレーテスト・ヒット / Bob Dylan’s Greatest Hits

1971年 グレーテスト・ヒット第2集 / Bob Dylan’s Greatest Hits Vol. II

Joan Baez ジョーン・バエズ

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インフォメーション

  • 名前: Joan Baez(ジョーン・バエズ)
  • 出生名: Joan Chandos Baez(ジョーン・チャンドス・バエズ)
  • 生誕: 1941年1月9日-
  • 出身地: アメリカ ニューヨーク州スタテンアイランド
  • サマリー:
    • ジョーン・バエズは、アメリカのフォークシンガー、ソングライター、ミュージシャンで活動家
    • 彼女の音楽は抗議や社会正義のテーマを含み、60年代のカウンターカルチャー運動の象徴的存在となった。
    • 2017年にロックの殿堂入りを果たし、2021年にはケネディ・センター名誉賞を受賞した。
    • 2019年に「Fare Thee Well Tour」で音楽活動から引退し、2025年現在は肖像画の制作に専念している。

アーティストの軌跡

ジョーン・バエズは、透明感のある美しい声と社会正義への揺るぎない信念で、フォークミュージックの世界を超えて世代を超えた影響力を持つアーティストとして知られています。

彼女の音楽と活動は、アメリカの文化的・政治的風景に深く刻まれています。

バエズはメキシコ出身の物理学者アルバート・バエズとスコットランド出身のジョーン・チャンドス・バエズの間に生まれました。

家族はクエーカー教徒に改宗し、この背景が彼女の平和主義と社会問題への取り組みに影響を与えました。若い頃から人種差別を経験したバエズは、早くから社会的な大義に関わるようになりました。

13歳の時、伯母に連れられてピート・シーガーのコンサートに行ったことがきっかけで音楽に目覚めました。高校卒業後、家族とボストンに移り住み、そこで彼女はケンブリッジのクラブ47などで演奏を始めました。

1959年のニューポート・フォーク・フェスティバルでのパフォーマンスが注目され、翌年にはヴァンガード・レコードと契約して「Joan Baez」というデビューアルバムをリリースしました。

1960年代前半には「Joan Baez, Vol. 2」や「Joan Baez in Concert」などのアルバムがゴールドディスクを獲得し、「フォークの女王」として名声を確立しました。

この頃、彼女はボブ・ディランと出会い、彼の曲を早くから取り上げたことでディランの知名度向上に貢献しました。

二人は1960年代に恋愛関係にあり、その関係はのちに彼女の代表曲「Diamonds & Rust」の題材となりました。
バエズは音楽活動と並行して公民権運動や反戦運動にも積極的に参加しました。

1963年のワシントン大行進では「We Shall Overcome」を歌い、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの「I Have a Dream」演説の直前に演奏しました。

ベトナム戦争中には徴兵拒否を支持し、所得税の一部支払いを拒否するなど、反戦の姿勢を明確に示しました。

1970年代には「Diamonds & Rust」を含むアルバムをリリースし、この曲は彼女の最も有名な自作曲となりました。

その後も「Gulf Winds」「Recently」など多くのアルバムを発表し続け、時代と共に自身の音楽性を発展させてきました。

2008年にはカントリーの要素を取り入れた「Day After Tomorrow」、2018年には引退前の最後のスタジオアルバム「Whistle Down the Wind」をリリースしました。

2019年には「Fare Thee Well Tour」と名付けられた最後のワールドツアーを行い、同年7月28日にスペイン・マドリードのTeatro Realで最終公演を行いました。

バエズは2017年に「ロックの殿堂」入りを果たし、2021年には「ケネディ・センター名誉賞」を受賞するなど、その功績は広く認められています。現在は音楽活動から引退し、肖像画の制作に専念しているといいます。

2023年には彼女の人生と音楽キャリアを振り返るドキュメンタリー映画「Joan Baez: I Am a Noise」が公開され、彼女の個人的な苦闘、政治的活動、そしてボブ・ディランとの関係などについて率直に語っています。

ジョーン・バエズは、単に優れたミュージシャンであるだけでなく、社会変革のための声として、60年以上にわたって人々の心に訴えかけてきました。彼女の音楽と活動は、時代を超えて世界中の人々に影響を与え続けています。

代表曲:
1963年 We Shall Overcome
1975年 Diamonds & Rust
1971年 The Night They Drove Old Dixie Down(カバー)

アルバム

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